鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
282/747

4「須磨」冷泉為満(1559-1619)したがって,光広についてもまわりの筆跡が的確なことから光広筆としてよいであろう。1「幕木」智仁親王(1579-1629)2「夕顔」尊純親王(1591-1653)3「紅葉賀」烏丸光広(1579-1638)5「絵合」飛鳥井雅胤(1586-1651)6「乙女」良純親王(1603-1669)7「胡蝶」良恕親王(1574-1643) 8「締火」中院通村(1588-1653)9「行幸」四辻季継(1579-1629)10「夢浮橋」水無瀬氏成(1579-1629)伝承筆者の生没年からこれらの詞が書かれた時期の可能性は,1603年から1619年の間である。しかし1603年は,「乙女」を担当した良純親王が生まれたばかりで書写不可能である。1619年は,良純親王十六歳である。まじめな丁寧な書きぶりで,+代の半ばであれば十分に書けるもの,したがって,十面の詞書がそろって書かれたとしたら,1619年か,その一,二年前くらいまでを範囲とするのが自然である。さて,絵はすべての画面に「将監」の印を押す。最後の「夢浮橋」の場面には「土佐左近将監光起筆」の落款がある。土佐光起(1617-1691)の生没年と詞書筆者達のそれとは大きな違いがある。土佐光起の真筆か否かの判断は別にして,光起筆である場合は,絵画と詞書の成立時期がずれていることが指摘できる。同時期に描かれたとしたら,落款に疑問があることを指摘できることになる。このように複数の筆者による書写,いわゆる寄合書において,広がりをみせる定家様,冷泉流が含まれる可能性は大きく,その場合には,書から時代判定や筆者推定などを容易にすることができるのである。なお,茶道における定家様は,手紙類,和歌の清書等はもちろん,茶道具の箱書きにも見ることができる。ただし,箱の文字数は少なく,筆跡判定は難しいものがあることもわかった。以上,共通性と個性を持ち合わせた定家様の広がりは,ほかの書流には見られない。特に,冷泉家中心の室町時代から明治時代までの長期に渡る定家様の共通性と一人一人の書風の微妙な違いが,筆跡比較や時代決定に有効であり,その基準と成り得るも-271-

元のページ  ../index.html#282

このブックを見る