鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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的な石碑の形をしているものばかりではなく,仏塔や楼閣,宮殿,柱,闊などに似たものも含まれている。このような名称や形状の様々な有り様は,おそらくそれぞれのタイプの起源や発達過程を示していると思われ興味深い。まず,石碑は碑首と碑台(践)を備えた立石で,碑陽(表)と碑陰(裏)の区別があり厚みは少ない(注2)。元来文字を刻むためのものであるが,碑首や碑側には倒龍や神仙,四神(朱雀,玄武,青龍,白虎),日月(日中に三足鳥,月中に蜻蛤),装飾文様などが彫られる。仏教美術において造寺造塔に際して立てられた石碑が,やがて造仏にも転用され(注3)'さらに一つの碑石中に造像と碑文を収める形式が生まれたものであろう。次に,仏塔は元来仏舎利を納める建造物であるが,中国では五胡十六国時代の北涼の地域で約20例ほどの5世紀前半の小石塔が報告されており,頂部に傘蓋を造り,仏寵と経文,願文などが彫られている。5軋紀後半には中国式の木造重層塔を象った石像が見られるようになり,各面各層に仏寵を造ったり基台部に銘文を刻んだりするようになった。柱は建造物の部材であると同時に,中国では古来「天と地をつなぐ柱」というシンボリックなイメージがある。また,神道柱のように墓道の標として立てるものもある。一方閥は巨大な門のことで,石材を段々に積み上げ頂部に屋根を載せる構造で,墓の前に建てる。このように墓の入り口に立てられた神道柱や神道開は死後の世界,天上世界への入り口でもある。そしてこの柱や開にも石碑と同様に銘文が刻まれ,各面を利用して四神や龍虎,日月といった神話的な題材が彫刻されている(雲南省陸良県の「暴龍顔碑」458年,河南省登封県「嵩山三闊」東漢時代)。仏教造像碑の中でも幅と厚みの寸法に差のない四面像タイプには,石を段々に積み上げるものや屋根をのせるものが多く,柱や闘の性格が感じられる。宮殿や楼閣も屋根のある中国式建造物で,天宮は天帝の宮殿,楼閣は天上へ伸びる高層建築で,やはり昇天思想との関わりが深い。銘文に「天宮像」と刻む像は屋根をのせた宮殿形で造られている。このように,柱,闊,宮殿,楼閣といった建造物はいずれも中国の神話世界の天上のイメージを帯びている。一方,敦煙莫高窟や雲岡石窟など中国の石窟寺院には,壁面に開形や宮殿形の寵を造り,仏菩薩像を納めているものが見られる。また,窟の中央を方柱状に彫り残し各面に仏寵を設ける「中心柱窟」と呼ばれる形式も見られる。これは元来インドのチャ-279-

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