49cm。厚14cm。頂部は方形で,正面背面共に2頭の龍が中央で絡み合う図柄を浮彫する。正面は上部に小坐仏5列3段,中央に大寵を設け中に如来坐像(禅定印,裳懸座)と両脇侍菩薩像を彫る。両脇侍像の下方には鹿がいる。下部は中央に香炉,左右に屋形内の供養者および傘蓋を持つ侍者像を表す。背面は上部中央に如来坐像(禅定印,裳懸座),左右に飛天と力士各1謳,下半は供養者名を刻む。両側面は上部に鬼神(?),その下に如来坐像3段,下半に銘文を刻む。銘文には「大魏神亀三年太歳在庚子四月甲辰朔廿日水亥日建興郡端子縣水碓泉合村邑子共造石像ー1饂」云々とある。建興郡端子縣は現在の山西省南部沿水の東方にあたり,洛陽の北方約100km,黄河に流れ込む沿河の中流である。しかしこの像に見られる仏菩薩像の素朴な作風や,飛天や力士に見られる衣文表現は同時期の洛陽地方の造像様式とは異質で,むしろ映西地方の仏像に近い。(3)顔氏等造像碑〔図3〕北斉・天保8年(557)。チューリッヒ・リートベルク美術館。石灰岩。高165cm。幅77cm。厚(最大)22cm。碑首は6頭の龍が絡む璃首。碑首正面題額部は樹下の半珈像を造るが,この像は拮を着け上半身裸の如来形(頭部が肉髯状)のようで,右手は膝の上にのせており,通常の菩薩半珈思惟像とは様子が異なる。碑身中央に大寵を設け,中に如来坐像を中心に2弟子像,2螺髯像,2菩薩像を配する。台座下には地天が捧げる香炉を中心に左右に獅子と力士が侍す。寵外上方には左右に維摩(林帳内に塵尾を執って坐す)と文殊(天蓋下に坐す),その中間に天女や弟子像を表す。背面は題額部に二仏並坐像碑身部は供養者名を刻む。右側面は上部の樹形寵内に菩薩交脚像を彫り,下に供養者名を刻む。左側面は上部の尖棋寵内に如米立像と脇侍弟子像,下には供養者名を刻む。造像記は正面の左右縁の部分にあり,「大齊天保八年歳次丁丑四月已巳朔八日」云々と刻む。供養者名は顔氏が多く,役職名中に「南充少卜1」「廣武郡」「曲梁縣」「榮陽郡」「行陳郡」などの地名が見える。充州は現在の山東省中央部,済寧市の北。曲梁県は河北省郡郡市の北東。榮陽郡は河南省鄭州市の西。(4)朱伯生等造像碑〔図4〕東魏・天平2年(535)。ロンドン・大英博物館。砂岩。高85.5cm。幅43cm(下辺)。厚(下辺)20cm。頂部は方形。正面は3段に区切り,上段には左右から香炉を捧げ持つ2体の飛天,中段には如来坐像と両脇侍菩薩像,下段には屋形内の2人の人物と供養者名を刻む。背面は上段に二仏並坐像,中段と下段に騎馬人物像と名前を刻む。右-281-
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