側面は如来坐像と供養者像と名前,左側面は如来坐像と供養者像の下に造像記を刻む。「天平二年太歳□乙卯三月廿三日朱柏生合門大小造石像一歴」云々。部は上部に仏坐像と両脇侍菩薩像,脇侍菩薩の下に螺響像(?)左右に各1謳,さらに下に飛天4艦と地天が支える香炉があり,その下は右方に宝蓋下の文殊菩薩(如意を持つ),左方に屋形内の維摩詰(塵尾を執る),その間に聴聞の比丘を表す。最下段は造像記を刻む。背面は碑首内に仏立像と両脇侍菩薩像,碑身部は上方に帳幕,下には双樹下の菩薩俺坐像(袈裟を着る)と左右の力士像を彫る。右側面は碑首部に如米坐像碑身部上段に菩薩1奇坐像(袈裟を着る),その下に樹下の菩薩半珈思淮像,その下方は供養者名を刻む。左側面も碑首部に如来坐像,碑身部上段に如来1奇坐像,その下に樹下の菩薩半珈思惟像その下方は供養者名を刻む。正面の造像記に「ロロ□年歳次庚子五月甲□十□口庚口」云々,維摩詰像の題記に「唯磨□□(途中不明)口方丈室中」,文殊菩薩像の題記に「文殊師利而口問□□開嘗佛□ロロ」と刻む。右側面菩薩半珈思淮像の寵外に「定陽郡主薄楊口懐」と刻む。定陽郡は現在の山西省西南部吉県にあたる。美術館の題箋には「堅立子山西南部道労或廟的石碑」とあるが根拠は不明。「庚子」年を西暦520年と判断するならば,北魏・神亀3年にあたる(この年は7月に正光と改元)。仏菩薩像の体艦や衣文の表現に独特のくせがあり,袈裟を着けた菩薩椅坐像という図像も特異である。地域性の強い造像と思われる。北魏・建儀元年(528)。ニューヨーク・メトロポリタン美術館。石灰岩。高193cm。を彫る。碑身部は上半に仏寵を開き如来坐像を中心に左右に2弟子2菩薩像を配する。寵上部には小坐仏帯を1段造り,寵の左右は飛天と力士を彫る。その下は地天に支えられた香炉を中心に左右に比丘,その外には鹿のような動物と人間が曲芸をしている場面が浮彫にされている。さらにその下は3つの屋形があり,中には侍者を従えた供養者像が彫られ名前が付されている。最下段には造像記が刻まれる。背面は碑首題額部に菩薩椅坐像を表し,碑身部は一面に供養者像を浅く刻む。右側面は碑身部上段に(5)李僧短・王阿全等造像碑〔図5〕北魏・庚子年銘(520)。ロンドン•V&A美術館。砂岩。高173.5cm。幅35cm。厚31cm。頂部は4頭の龍からなる璃首。正面は碑首内に如来立像と両脇侍弟子像,碑身(6)合邑七十人等造像碑〔図6〕幅59cm。厚23cm。頂部は6頭の龍が絡む蜻首。正面は碑首題額部に禅定印の如来坐像-282-
元のページ ../index.html#293