部は六頭の龍が絡む璃首。正面は,碑首題額部に9頭の龍に囲まれた釈迦の立像(仏伝。九龍灌水)を表す。碑身部は中央の大寵に如来坐像を中心に2弟子2菩薩を脇侍とする5尊像を造る。寵上は小坐仏帯を2段,寵両側には飛天と力士を配する。仏寵の下には地天が支える香炉を中心に両脇に騎象菩薩像,供養比丘像各一艦を浅く彫り出す。その下は3つの区画になり,中央は牛車,左右は騎馬像を浅く彫る。最下段に銘文が刻まれる。背面は碑首題額部に禅定印の如来坐像を造り,碑身部はすべて供養者像を浅く刻む。両側面は碑身部上方に小坐仏,その下に騎馬像,雑技,鬼神などを浅く彫る。正面の銘文に「(前略)永安二年歳己酉二月癸未朔五日丁亥」とある。各供養者像には名前か付されている。本像は全体の構成,仏像様式,唐草文等多くの点で前述したメトロポリタン美術館北魏建儀元年銘像と酷似している。製作年も1年違いで,また両像の供養者の名前に「杜」氏が共通して多く見られること(メトロポリタン像では追刻の唐代の銘文も杜氏によるもの)なども両像の関係の深さを感じさせる。西魏・恭帝元年か(554)。ボストン美術館。石灰岩。高(現状)212cm。頂部が欠損しているため当初の碑首の形状は不明。正面最上層は上部が欠失しているが,右方の菩薩像と左方の台上に坐す人物が向かい合うように見えるので,おそらく維摩詰と文殊菩薩の対問図であろう。その下は中央の屋形内に二仏並坐像と両脇侍菩薩像,その左右は山岳と樹木が表され,右方に半珈思惟像(如来形か),左方に禅定比丘が配されている。その下は大寵で,中央に施無畏与願印の仏坐像と2弟子像,さらに左右に2菩薩2カ士像(金剛杵を持つ)を彫り出す。その下方には香炉を中心に左右に供養者や獅子を3段にわたって浅く彫る。香炉の下には「西国造像」の4文字が策書で大きく刻まれる。最下段に銘文があり「維(?)大魏元年歳次甲戌四月口亥朔十二日庚辰」云々と記され砕山倶等二百人による造像であることが判る。背面は全面に供養者列像を浅い浮き彫りで表わし,各像には「邑子」「佳那」「清信女」などを冠した人名が刻まれている。右側面には供養者像と「繹迦佛主」「薬王菩薩主」などの文字,左側面にも供養者像と「多賓佛主」「観世音菩薩主」などの文字が刻まれる。このほか正面にも「嘗陽佛主」「菩薩主」「加葉主」「阿難主」「開明主」「採像軍主」などがあり,人名に「正平郡」などの地名が見える。正平郡は現在の山西省西南部侯馬市のあたりで,i分水が黄河に流れ込む手前に位置する。正面の銘文にいう「大魏元年歳次甲戌」については造像様式からみて西暦554年,西魏の恭帝元年に当たるとされている。この年には(9)砕山倶等二百人造像碑〔図9〕--284-
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