鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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し‘゜II 瑞果文と花蝶文銘が記される。⑤官窯B一瑞果文く素三彩果花文盤〉東京国立博物館蔵〔図13〕軽い盤で口縁は薄く外反し,盤の立ち上がりは内外ともに丸みがある。暗花で見込みに周線と宝珠を追う龍を,縁には二龍文を彫り,外側にも同じく周線と二龍文,高台周りに蓮弁文,高台に二重線の暗花がある。見込みには六果の石櫂と七果の杏が,また盤外側には四花の薔薇と六花の山茶花が描かれている。底裏にだけは,透明釉が掛けられている。盤内外の白濁釉上には,低温鉛釉特有の現象,虹彩と呼ばれるつやが浮かぶ。⑥官窯B一瑞果文く素三彩果花文盤〉大和文華館蔵〔図14〕上二つと同じタイプだが,どれも果実の数が異なっており,これは五果の石櫂,六果の杏が描かれ,外側には九花の文様が配されている。また,東京国立博物館の作例には見込みに暗花による周線があるが,故宮博物院と大和文華館のものにはみられな以上の民窯・官窯素三彩の観察から次のようなことがわかる。官窯の素三彩は,色彩において特に白釉をとりいれるなど民窯を下敷きとしていると考えられるが,装飾において民窯の絵付けとは異なる方向に展開している。すなわち明朝官窯に倣った伝統的文様,あるいはそれまでの陶磁器に由来を探ることのできない,新種の文様を導入しているのである。このような性格は,官窯青花・五彩にみられる民窯とのゆるやかな連続性(注9)と対照的に,素三彩において顕著である。では次に官窯素三彩の新文様について,II瑞果文と花蝶文の由来と,IIIこれらの文様と関わりなく暗花龍文が彫られる意味を考察する。康煕官窯素三彩の二種の新文様である瑞果文と花蝶文は,これまでその起源が触れられずにきた。これは明の磁器にも明末清初の民窯磁器にもみられない文様で,康煕官窯ではかなり大量に作られたと考えられるが,続く薙正期以後にはみられなくなる。ここでは文様の出所を,康煕官窯の発展期である17世紀末から18世紀初め(注10)にかけて時を同じくして現れた清朝の多色刷版画の画譜に求め,新たな解釈の可能性を示したい。景徳鎮は,明末から盛んに画譜を生産した新安の町ほど近くに位置する。『八種画譜』-304-

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