III 暗花Xavier d'Entrecolles, 1664-17 41)は,本国フランスヘ向けて景徳鎮窯の活動を逐一の「五子登科図」や『無雙譜』のー場面を描いた五彩や青花が知られている(注11)。康煕40年(1701)に刊行された『芥子園画伝三集』の中には,杏の果皮上にある点描〔図16〕,石櫂の種子や実の上に放射状に広がる細い葉の描き方〔図17〕,石櫂と杏の葉の描き分け,また薔薇の図〔図18〕など,素三彩の瑞果文・花蝶文ときわめて近い表現が多々指摘できる。全く同じ図様ではないが,素三彩瑞果文および花蝶文は,このような版画画譜からとったモチーフを組み合わせた可能性が高い。なお『芥子園画伝』には,他にも青花や五彩など康煕官窯磁器との関連が考えられる図様がいくつかみられるが,このことは別稿で論じるつもりである。瑞果文・花蝶文の素三彩には,器形を問わず素地上に暗花龍文が彫り込まれている。なぜ文様と直接関わりのない龍文が彫られているのか,暗花の問題の解明に関しては,これまで佐藤雅彦氏や内藤匡氏が,釉薬の流れ止めとしての機能を果たしているとの考えを示された(注12)。本報告書では作品と文献史料の検討によって一見,暗花の問題とはかけ離れているようにも思われる,(1)素三彩の釉薬と(2)窯詰めという二つの視点から,新たな知見を述べたいと思う。(1)素三彩の釉薬康煕年間の景徳鎮に滞在し,布教活動を行ったイエズス会士ダントルコール(Fran<;ois書き送っており,当時の景徳鎮窯の様子をかなり正確に伝えている。康煕61年(1722)の書簡第十四項には次のような記述がある。史料1ダントルコールの書簡第十四項康煕61年(1722)1月25日付「当地(景徳鎮)になお一種の加彩売器ありて,是は以上申し述べ候諸色料を以て彩絵されたるもの(五彩や粉彩のこと)よりも一層安価に販売され居り候。(中略)斯の種の器を作り候には,さまで精妙なる胎質を用いずとも宜敷事にて有之候。無釉のまま本窯にて焼成せられたる,随って純白にして光沢なき器皿を取りて,若し単色の器を作らんとする時は,その色釉を充たせる甕中に之を浸して彩色仕直。若しまた諸色を施して(中略),緑黄などの色の区画に分かれたる器を作らんとする時は,大筆を以て此等の諸色をそれに加え申し候。是が此の荒器に施し候加工のすべてに御座候(注13)。」(括弧内および傍線は本研究者による。)-305-
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