鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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(2)素三彩の窯詰め無釉のまま焼成した器皿に加彩する磁器,との記述は素三彩に合致し,従ってこの記載からは,素三彩が,黄や緑一色の釉薬を掛けるいわゆる単色釉磁と同じ釉薬を共有していたことがわかるのである。ダントルコールの書簡中には,各種磁器の窯詰めの様子も詳細に描写されている。佐藤雅彦氏は,同書簡第十六項に記される「大窯で再度焼成する磁器」が素三彩を指すものと指摘されている(注14)。本報告書ではこれを一歩進めて,清朝前期の他文献史料と照らし合わせて素三彩の窯詰めをさらに明らかにしたい。薙正年間から乾隆年間にかけて景徳鎮官窯の監陶官として活躍した唐英(1682-?) は,官窯の窯業を体系的に記録し『陶冶図説』(乾隆8年/1743年刊)を著した。その第十八条には,景徳鎮官窯の窯の種類が次のように記されている。史料2『陶冶図説』第十八条乾隆8年(1743) 「器の小なる者は明鑢を用う。(中略)器の大なる者は暗鑢を用う。鑢は高さ三尺,径二尺六七寸。周囲は央層にて炭火を貯え,下に風眼を留め,器は鑢堂に貯う。人は円板を執り,以て火気を禦ぐ。鑢頂には板を益い,黄泥にて固く封じ,焼くこと一昼夜を度と為す。凡そ黄,紫,緑などを漉げる器は焼法相同じ。(注15)」(傍線は本研究者による。)ここにある「黄,紫,緑などを撓げる器」とは撓色釉と表記されるもので,単色釉を指す。『陶冶図説』によれば,黄・紫・緑の単色釉磁は「暗鑢」〔図19〕(注16)という大型の窯で焼成され,小器をひとつずつ焼き付ける五彩・粉彩用の上絵窯「明鑢」とは別個の窯で焼かれていたことがわかる。この単色釉磁用大型窯「暗鑢」とは,先のダントルコールが記すところの「大窯」に相当すると考えるべきであろう。両史料を照らし合わせると次のようなことがいえる。すなわち素三彩磁器と単色釉磁器は,同じ釉薬を使用していただけでなく同じ窯で焼成されていたのではないかと読みとれるのである。以上(1)釉薬および(2)窯詰めという二つの観点から,素三彩はその外見上の特色とは異なり,五彩や粉彩という上絵の彩磁よりも,むしろ黄色や緑色の単色釉磁ときわめて近い位置にあったことがわかる。上述したことをふまえた上で改めて作品に向かうと,瑞果文・花蝶文素三彩に刻まれる暗花龍文が,二彩の龍文磁〔図20〕や黄釉・緑釉の単色釉磁〔図21〕にも同様に彫られていることが注目できる。瑞果文・-306-

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