さんざし(3) 欧米では“Brinjal type”として知られ碗が紹介されることが多いが,幕末天保期(4) Chen Ching-Kuang "Sea Creatures on Ming Imperial Porcelains", The Porcelains of Jingdezhen, Colloquies on Art and Archaeology in Asia No.16,Percival David Foundation of Chinese Art, 1993. (6) 許之衡『飲流斎説荒』(宣統四年,1912年)にはこのタイプを「吸杯」と記して「廣(8) 内藤匡『新訂古陶磁の科学』雄山閣,1986年。edition, 18-19, Paris, 1810.(ダントルコール『中国陶完見聞録』小林太市郎訳(2) 1)には暗花による刻文を施した上質のものが作られていた。(佐藤雅彦『中(13) Lettres Edifiantes et Curieuses ~さres,NouveIIe 国陶磁史』平凡杜,1978年。『中国陶磁通史』中国娃酸塩学会編,佐藤雅彦・長谷部楽雨・弓場紀知日本語版監修,平凡社,1991年。)に眠平焼を興した賀集眠平は,自家に伝来した清朝の黄南京花生を写そうとしたとのことが自伝に記されている。(青木重雄「眠平焼のすべて」『陶説』441号,1989年。)(5) このタイプは地の色によってイエロー・ホーソン,ブラック・ホーソンなどと呼ばれ,欧米のコレクションに多くみられる。ホーソンとは山査子のことで,梅樹の文様が山査子に似ていることからつけられた呼称であるとされる。(矢部良明「明清時代における黄彩磁器の系譜」『百年庵陶論集』第5号,1990年。)窯」すなわち広東の窯で作られたものと説明している。これが広東石湾窯を指すのかどうかはわからない。(許之衡原著『説売新註支那陶磁』塩田力蔵訳解説,第一書房,1941年。)なお日本には交址焼の筆洗として伝世する例がある。(7) 虎皮斑は民窯素三彩にもある文様だが,新文様というよりはむしろ唐三彩を倣古したものとみるべきであろう。(9) 官窯の青花・五彩は,明末清初以来の絵画的な絵付けの傾向をその後も持続させ,その延長上に清朝新製の釉上彩粉彩かあるとみることができる。(10) 康煕官窯はこの時期に迎えた監陶官,威応選や郎廷極の下でさまざまな新しい釉薬を開発し磁器の質を向上させていった。(前掲書(注2)『中国陶磁通史』。)(II)佐藤前掲書(注2)。(12)佐藤前掲書(注2)および内藤前掲書(注8)。註,東洋文庫363,平凡社,1979年。)-308--
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