この点においても行快との強い関連が指摘できよう。側面観においては,まず頭部の表現からみてみよう。額から眉,上瞼にかけてのラインに注目すると,髪際から眉にかけてせり出し,眉に鏑を付ける形で上瞼へとつながり,上瞼には膨らみをあまり付けない点が注目される。額がせり出し眉のラインに鏑が強く感じられる横顔は快慶にはなく,やはり行快の特色と近い。ただし,阿弥陀寺像では膨らみが認められるのに対し,峯定寺像は抑揚がなく平板である。また,鼻から口元,顎へと続くプロフィールにおいても阿弥陀寺像と共通するラインを描いている。しかし,阿弥陀寺像にみられた頬の張りは,峯定寺像ではさほどみられない。耳の表現においても,阿弥陀寺像と峯定寺像は極めて近似している。体謳の側面観においても,頭部をわずかに前傾させ,胸の厚みを抑制したすらりとした体つきや,腕の構え方など,阿弥陀寺像と峯定寺像はほぼ同じ体勢であり,衣摺の配置や彫法においても,峯定寺像にやや硬さがみられるほかは極めて親近性が高い。背面においても,螺髪の配列がおなじであるなど,阿弥陀寺像と峯定寺像の類似点は多い。さらに,北十萬像が峯定寺像をさらに装飾的かつ形式化した展開のうちに理解できる点にも注意しておきたい。<脇侍像〉両脇侍像は,快慶晩年の光台院像を範にした形勢をとっている。観音・勢至像ともに相好は中腺阿弥陀像と基本的に同じであるが,やや小さいこともあってか抑揚がさらに控えめで,おとなしい感じを受ける。両像ともに軽く膝を曲げ上体をかがめて往生者に近く寄るという姿勢をとっているのであるが,快慶の光台院像がさらに膝を割ってまさにひざまずこうかという,やや不安定ともいえるポーズを示しているのに対し,峯定寺像ではそこまでの動きは感じられず,静止した様子に見受けられる。著衣の表現においては,光台院像は快慶晩年のやや重たげな著衣表現がなされるものの,条吊や裳の表現はオーソドックスなものであり,むしろ,体から遊離してまわされる天衣の華やかさが印象的であるのに対し,峯定寺像では裳の上部の二段折り返しの縁の折り畳みに華やかで複雑な衣摺を表しており,また,腹前の条吊の端を遊離させ別材で取り付けており,全体に複雑化した様相を呈していることが指摘できる。ただし,注意しなければならないのは現在峯定寺像には天衣が全く無いため,一見したところ光台院像よりおとなしい印象を受けるのであるが,峯定寺像も当初は光台院-322-
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