注者とは異なった指向性が現れている。これらはいずれもーニニ0年から一二三0年頃の間に制作されたものと見なして大過ないと思われるが,こうした展開の中で峯定寺像は,すでに指摘してきたように快慶の後継者である行快の様式に極めて近く,安阿弥様のまさに正統的な継承かなされていることがわかったように,五坊寂静院像や教恩寺像と同一の立脚点を持っているといえる。その中でも,五坊寂静院像や教恩寺像の様式は快慶その人のものではなく,また作者を比定できる材料がない中で,峯定寺像は行快の様式をほとんどといってよいほど具備しており,快慶の正統的後継者である行快の来迎相立像阿弥陀三腺の姿を初彿とさせる像であると判断されるのである。行快の阿弥陀寺像は,快慶後年の繊細であるがやや生気を欠いた造形に対し,肉付けの張りや勢いのある衣摺を快慶の初期作例から学んだような作風が特色であるが,峯定寺像にはそうした一種の若々しさも快慶晩年の繊細さもなく,むしろ衣摺の形式化や肉付けの単純化の萌芽が見受けられ,定型化への過程がはっきりと認められる点に注意したい。五坊寂静院像や教恩寺像では快慶晩年の様式への反動のようなものが感じられ,また,行快の阿弥陀寺像でも快慶晩年の作風に忠実ではないところがあったが,峯定寺像ではやはり快慶晩年の傾向がより明確になっているといってもよい。すなわち,光台院での来迎相三諄形式が,ひとつの定型として忠実に継承されていく過程の造像が峯定寺三腺であると位置づけうるのである。(1) 山本勉「安阿弥様阿弥陀如来立像の展開薄井和男「滋賀・阿弥陀寺の行快作阿弥陀如米立像」(『仏教芸術』167,1986) 三宅久雄「仏師行快の事績」(『美術研究』336,1986) (3) 法量は以下の通り。<阿弥陀如来〉像高81.8髪際高76.3頂一顎14.9面長9.1面幅8.6耳張11.3面奥11.4胸厚(右)12.1腹厚15.1肘張26.3裾張20.6足先開(外)14.4(内)8.1く観音菩薩〉着衣形式を中心に」(『仏教芸術』167, 1986) (2) 吉原忠雄「堺市北十萬の阿弥陀如来立像について」(『堺市博物館報』V,1986) -324-
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