鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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ムにそのことを告げる。しかし龍は夜陰に逃げ込む。三度目にラクシュが告げたとき,龍は姿を現す。ラクシュは「龍の肩に噛みつき,獅子のようにその皮を引きちぎった」。第五道程:ウーラードがロスタムに捕らえられる(注7)〔図5〕。ラクシュがウーラードに近づくと,「王の眼前が真っ暗になった」とある様にラクシュの姿の雄大さが強調されている。第六道程:ロスタムと悪鬼アルザングとの闘い〔図6〕。ロスタムはラクシュに拍車をかけ,稲妻のように襲いかかり,獅子のように悪鬼の頭と胴を引き裂いた。その後ラクシュは雷のように噺く。第七道程:ロスタムが白鬼を倒す〔図7〕。ロスタムはラクシュを風のように駆り,七つの山に達する。白鬼とそれを護る悪鬼を相手にラクシュはロスタムを援助し,かれらを倒す。以上のことからラクシュの特徴を抽出すると,「巨大な猛る象」と記述されるように,本来は好戦的であるが,決して人間に対して闘いを挑むことはしない。相対するものは獅子・龍・悪鬼・白鬼であるが,馬自身は単独で闘うことは,厳に戒められている。獅子を倒したラクシュに対してロスタムは「愚かなラクシュよ,獅子と闘えと誰がそなたに命じたか」とあり,「誰とも闘わず,親しくなるな」と乗り手との関係が,常に従属的であることを示唆している。それゆえ,ラクシュは龍が現れた時「ロスタムと龍への恐れから,心は恐怖で千々に乱れ」,「龍の怪力とロスタムとの格闘を見ると,耳を下げて驚いた」とある。この両巻に表現される「馬」は主人に養われ,主人にのみ従順であり,主人に敵対するもののみに勇敢であると言える。さらに,ロスタムはラクシュを「闘いで私の力に耐え,落ちつく場合に苛立たない」というように単なる「馬」を超える存在として認識していたことが窺える(注8)。古代オリエントに農耕が広がった時期,豊穣の象徴は当時多く生息していた牛(野牛・水牛)であった。牛は農耕の手段として有益であると共に,その生命力が驚異的なものとして捉えられており,ゾロアスター教の「原牛」の思想とも相侯って神格化されるにいたった。その後に出現した一神教のユダヤ教は,牛の像を異教の神々の象徴とした。しかし,その習慣の根強さは『出エジプト記』において,モーセの先導でエジプト脱出に成功したイスラエル人も,シナイ半島で金の子牛像を造り,これを礼拝し,神の激怒を受けたということにも窺える。ユダヤの預言者たちは,馬を聰馬=平和の対立物として捉えており,『出エジプト記』では馬を残忍なパロの軍隊として表-332-

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