鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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うに,持ち主のアッラーヘの帰依次第で,善行にも重荷にもなると説いている(注12)。ソロモンでさえ「まことに私は,主を念ずる以上にこの世の良い物を愛することを好んだ。太陽が夜の幕に隠されるのも忘れ果てていた」とあるように,現世における馬の「価値」に関する忠告が繰り返されている(注13)。また,『ハディース』では馬に関する隠喩として「不吉な兆は,馬,女,家の三つに現われる」と預言者に語らせている(注14)。また,興味深い記述が『コーラン』に見られる。それは「ムハンマドの昇天=ミーラージュ」が書かれている第17(夜の旅の)章である。ムハンマドが大天使ジブリール(ガブリエル)の先導で天馬(ブラーク)に騎乗し,メッカのモスクからイェルサレムのモスクに夜間旅をする。その後,七つの天界を預言者が巡るという解釈の難しい章である(注15)。『コーラン』には直接天馬に関する記述は見られないが,『ハディース』において,「鳥累馬よりは小さ<櫨馬よりは大きい白い動物がつれてこられたが,これこそ空を駆けるブラークであった」と具体的にブラークが記述されている(注16)。通常の形象は頭は女性,胴体はロバ,孔雀の尾を持つものである〔図9〕。次に,『王書』の写本挿絵の制作(ペルシア的絵画)の歴史について,若干考察したい。初期イスラームは芸術に関する感性,それを表出する高度な技術の伝統に乏しいため,征服地に既存していた古代オリエント,ヘレニズム,ローマ,ビザンチン文化などの強い影響を受けざるを得なかった(注17)〔図10〕。そのことは,モスクや宮殿の建設の際にビザンチン世界などから職人を徴用したことでも明らかである。イスラームにおいては造形芸術に対する宗教的制約が強く,『コーラン」第5(食卓)章第90節には「信ずる人々よ,酒,賭矢,偶像,矢占いは,どれもいとうべきものであり,サタンのわぎである。それゆえ,これを避けよ。そうすれば,おまえたちはおそらく栄えるであろう」とあり,また『ハディース』にも「神や人間や生物を描こうとする者に災いあれ。木や花や生命のないものだけを描け……そのような家には天使は入らないであろう」とある。『コーラン』と『ハディース』の言葉はイスラーム芸術に大きな制約を与えることとなった(注18)。9世紀の神学者は偶像礼拝禁止の理論的根拠を芸術家の造形力に求めた。生物を描くことは唯一の創造主(アッラーの創造力)に対する冒漬と捉えた。そのため,イスラームにはキリスト教や仏教に見られるような宗教芸術はない。しかしそれは,宗教芸術がイスラーム特有な形象をとったに過ぎない。装飾を中心としたモスク建築,庭園造形,神の言葉であるアラビア語のカリグラフィ-334-

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