鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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ー,精緻な『コーラン』の装丁,『コーラン』の朗唱,詩を中心とした文学などによって,総合的に構築されていった。その後13,4世紀になると神学者は宗教的制約を保持させながら,芸術家の造形能力はアッラーから与えられたもの,つまりアッラーの創造物の一つと解釈を変化させ,絵画が重要視されると共に画家たちの個性も発揮されていった。従って,写本挿絵もシャリーア(イスラーム法)に必ずしも抵触するものではなかった。さらに,イスラーム絵画について考察するとき,マニ教絵画に触れざるを得ない(注19)。非ムスリムであるマニ教徒は,初期写本挿絵の制作者として自らが持つ宗教的絵画の能力を大いに発揮している。マニ教絵画はササン朝絵画(イラン的絵画の要素)の影響を受け継いでいた。そのため初期のイスラーム絵画にはマニ教徒を通してササン朝(あるいはそれ以前)のイラン的な絵画の伝統がもたらされた。イラン写本挿絵の歴史は現存する作品から推論すると,11■12世紀頃に始まったとされる。ギリシア語原典の科学書,インドの動物寓話集『カリーラとディムナ』,ハリーリー『マカーマート』などが最初期の写本挿絵であった。13世紀後半,モンゴル人がもたらした中国絵画と仏教絵画などがイラン絵画を大きく変化させた。中国風自然主義とイラン風躍動感の共存する作風が生まれ,イラン固有の主題を持った写本挿絵が多数制作された。その結果,14世紀『王書』の写本挿絵が完成することとなる。『玉書』というイスラーム以前の英雄叙事詩を表象するためには,中国的仏教美術とイラン的写実主義が必要だった。つまり,輪郭線のはっきりとした水墨画の技法と,同時に創造的な主題の画面構成によって,初めて『王書』の持つ人間味豊かな描写が可能となった。歴史的に見ると1370年に制作された『王書』は,以前より形式的な傾向の作品になる。さらにティムール朝時代に入ると,『王書』は自然主義がより弱められ装飾的傾向のみが強くなる。1370年版と1393年版『王書』の伝統的様式は,初期シーラーズ派様式に入り,画面を構成する類型・反復化した要素を巧みに配置し,雲や山水で装飾的背景をつくる。その後,『王書』の画面は煩雑としたものとなり,人物・植物・樹木・山水が雑然と構成されるのである。1444年版『王書』はさらに装飾的傾向が強まり,構成が幾何的・原則的となる。写本挿絵の頂点となったサファビー朝いものであるが,次第に画面の特徴は,一般に人物を生き生きと描き,同時にその背景となる風景・建築物が躍動的・多彩となる。換言すれば,サファビー朝のイラン写本挿絵は自然・閤達・多彩・装飾的・繊細な造形を目指し,人物・動物の動作をより(1502■1736)の歴代支配者は芸術を奨励した。初期は叙情的・叙述的画風の影響が強-335-

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