③近世建築彫刻にみる文様集成東日本編研究者:石川県立歴史博物館学芸主査本谷文雄はじめに近世工芸史を研究する筆者は,従来の材質分類からの研究に限界を感じ,これらの壁を取り去って,広い視野から,絵画・陶芸・漆芸・染織・金工などの美術工芸品を,文様という共通項を通して総合的に研究したいと考え,視野を広げて建築彫刻に注目した。これら建築の文様を年代別に整理分類することによって,美術工芸品の文様と比較し,年代決定に応用しようと考えた訳である。建築彫刻は絵師の下絵によるものも多く,美術工芸品との文様に共通した流行がみられる。しかも,建築は建立年代がわかるものが多く,文様の編年において基礎資料となる。近年,建築彫刻だけを扱った文献も出版されるようになったが,全国的規模による総合的な調査はこれからで,修理報告書においてすら彫刻まで詳細に言及したものは少ない。よって,建築に彫刻の多用される社寺を調査・写真撮影することによって,まず基本資料を収集し,文様の編年表を作成することが本文の目的である。そこで,本年度は東日本にある江戸前期に建てられた社寺を中心に調査した。1 近世建築における彫刻の位置江戸前期は,「日光東照宮」の普請に代表されるように,日本各地で土木や建築工事が行われた活気ある時代であった。室町時代まで装飾が少なく地味であった建築も,近世に入り絢爛豪華なものが主流になり,墓股を中心に彫刻が施され,従来の彩色中心の装飾から,彫刻中心になり,建築の彫刻化が始まった。彫刻の多様される幕股は,近世になると丸彫となり,文様も日常見られる動植物が多く採用され種類も豊富になったが,幕股内部の文様がほぼ出揃うのは,桃山から江戸時代初期である。平内家の秘伝書『匠明』には,「大工は墨かね・算合・手仕事・絵様・彫物の五意が達者でなければならない」とあり,彫物が重要視されていたことがわかるが,江戸中期に入って,幕府の財政事情の悪化もあって,大規模な建築が建てられることが少なくなった。と同時に建築から彫刻が次第に姿を消す。維持費削減のために,たとえ彫刻があっても彩色のない建築が多くなる。1712年に建てられた「新勝寺三重塔」は,彩色と素木の混じる過渡期の建築の例で,以降は彩色を施さない素木の彫刻が多くな-24-
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