⑯ 湛慶様式に関する基礎的研究研究者:神奈川県立歴史博物館主任学芸員塩澤寛樹はじめに湛慶は鎌倉時代初期の彫刻史における屈指の巨匠運慶の長子であり,またその後継者として重要な存在である。湛慶の事績については既に小林剛氏(注1)'麻木修平氏(注2)等の,また,彼の作風や位置に関しては田邊三郎助氏(注3)等の説かれた論考によって明らかにされ,今後鎌倉時代彫刻史の理解には湛慶時代の様相を的確に捉えることは不可欠なことと思われる。しかし,文献等から窺われる湛慶の活動や実像には未だ不明な点もある。また,湛慶の確実な遺作は少なく,そのため湛慶の個人様式の究明も不十分であり,さらに同時代の重要作例についても評価が分かれていることもあり,それぞれ今後より細かなアプローチが必要となろう。そこで本稿では,まず湛慶の事績について再検討を試み,その特徴や問題点について考える。さらに,湛慶様式を考える上でのいくつかの重要作例を取り上げ,これを文献や調査に基づく所見等から考察して,個々の位置付けを探り,湛慶時代の彫刻史の輪郭を見直してみたい。1.湛慶の事績の検討現在湛慶には次の通り事績が知られている。建久九頃1198東寺南大門金剛力士像の西方力士像担当。東方は運慶。(『東宝記』)建仁三1203 東大寺南大門呼形像を定覚と共に造立(像内銘)。建暦二1212興福寺北円堂の持国天像造立。(弥勒像銘文)建暦三1213 法勝寺九重塔造仏(五仏と四天王像)に際して運慶の譲りで法印と建保三1215 院(後鳥羽院か)逆修本尊の一尺五寸阿弥陀像と弥勒像造立。(『伏建保六1218 東大寺東塔四方四仏を院派と共に造立。(『東大寺続要録』)東寺中門二天像のうち,西方増長天を康弁・運賀を率いて造立。東方は康運・康勝・運助作。(『東宝記』)なる(40オ)。湛慶のほかに運慶,院実,院範,定円,宣円らが行う。(『明月記』,『三僧記類緊』)見宮御記録』)院実,院賢のほか,快慶も一尺五寸弥勒菩薩造立。-347-
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