鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
36/747

る。彫刻と彩色の関係をみると,江戸前期は絵師か彫刻下絵を描き,大工がその下絵を元に文様を彫り,絵師が再び彩色することが一般的であったが,江戸中期から後期になると,雛形本などを参考にしながら,大工自ら下絵を描いて彫刻するようになる。2 江戸前期の建築彫刻の特徴一般的に,寺よりも神社に装飾が多く,江戸前期に質の高い彫刻が集中している。特に,日光東照宮の諸建築に代表されるように幕府主導による建築が群を抜いている。これは豊富な資金も大きな要因であるが,それ以上に,この時代に中井大和守正清や鈴木近江守長次や甲良豊後守宗広などのすぐれた大工が輩出したことが大きい。これら大工の棟梁としての統率力と建築全体の総合プランナーとしての卓越した美意識が,この時代のレベルを高めている。当然,その下で働く彫物大工は,腕を奮う無尽蔵の場によって腕が上がり,経験の蓄積によるさらなるレベルアップがみられた。募府以外では,仙台における梅村彦左衛門家次・梅村日向守吉次・刑部左衛門国次や,加賀藩における山上善右衛門嘉広も注目される地方大工であるが,その他地方の有力大名乃庇護の元で多くの彫物大工が活躍した。彫刻のデザインと彫師の関係を示す資料として「妙義神杜拝殿」の彫刻墨書には「賓暦六歳飯村木工允按圏/丙子十一月江戸彫物棟梁安藤利助謹彫之」とあり,飯村がデザインを担当し,安藤が実際の彫りをしたことがわかる。また本殿の墓股裏面の墨書には「画工燕洲門三郷豊次郎」とあり,彩色に携わった絵師の名もわかる。3 日光東照宮の文様さて,彫刻文様を決定する場合,彫物大工はまず秘伝の絵図に頼るであろう。それでも不足の場合は,近くにある水準の高い建物に出掛けるであろう。関東地方の建築は「日光東照宮」の影響を受けているものが多い。彫刻を多様した建築はまず関東に現れ,やがて十八世紀中期以降に地方において現れる。文様においては,日光東照宮のものが基本になるので,下記に列挙してみよう。■鳥類45種嬰息暦・鶯.鶉.鴬.鴛喬・入鳥・懸巣・鴨.翡翠.雁.雉・錦鶏・銀鶏・孔雀・鷺.山鵠.鴫・雀・鷹・千烏・燕・鶴・鶏・鳩.鶉.臭・木菟・目白・百舌鳥・山鳩・-25 -

元のページ  ../index.html#36

このブックを見る