注(1) 小林剛「大仏師法印湛慶」(『大和文華』121953年12月)。その後,『日本彫刻作(2) 麻木修平「仏師湛慶について」(『史逃と美術』4041970年5月)1001 1978年6月)(12)三山進「木造五大明王像附胎内納入品」(『鎌倉の文化財』第十三集1983 年12月鎌倉市教育委員会)結びにかえて以上,湛慶の事績や重要作例の検討を行った。しかし,現状では問題点の指摘に留まった感が強く,今後個々の作例の考察をより深めることが必須であろう。また,ここに挙げた作例の他にもさらに広く対象を求めることも必要である。同時に湛慶の弟たちの作例と併せて考えることも重要と思われ,なかでも次弟康運は湛慶と共に行った仕事も多く,彼が肥後定慶と同一人物である可能性も含めて注意したい存在であり,今後こうした視点からも検討を続けてゆきたい。家研究』(1978年5月有隣堂)所収。(3) 田邊三郎助「鎌倉彫刻の特質とその展開一湛慶様式の成立を中心に一」(『国華』(4) 拙稿「神奈川・證菩提寺阿弥陀如来坐像について一十三世紀前半における北条氏周辺造像の一例として一」(『三浦古文化』511992年12月)(5) 『吾妻鏡』文暦二年五月二十七日条(6) 『吾妻鏡」嘉禎元年十二月二十七日条(7) 松島健「鎌倉彫刻一慶派仏師を中心に一」(『原色日本の美術9中世寺院と鎌倉彫刻』改訂第三版1994年4月小学館)(8) 『吾妻鏡』建保四年正月十七日条(9) 前掲(注7)論文(10) 『吾妻鏡』同日条(11) 『吾妻鏡』同日条(13) 前掲注7論文(14) 高田家蔵『奈良雑筆』巻二百三十所収。坪井良平『日本古鐘銘集成』(1972年3月角川書店)によれば本書は,十九世紀に稲毛実が蒐集したと思われる拓本(現焼失)を昭和三年に奈良の高田十郎が高知図書館にて筆写したものという。-354-
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