鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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は1700年から1720年までは約150,1750年から1790年までは約500とされている(注8)。と考えられる。例えばティエリーはセギュール元帥のキャビネは許可を得なければみることはできないとだけ伝えて具体的な内容には言及していない(注6)。また,訪問者を歓迎したと言われるブロンデル・ド・ガニーのコレクションについてエベールは部屋ごとに詳しく紹介している(注7)。従来の研究ではパリの個人コレクションの数また,ある画家の作品を蒐集していた愛好家という観点からみていけば,フラゴナールの絵画作品の所有者は,画家の生存中から1825年頃までで130人にのぼる(注9)。また,シャルダンの18世紀の主要な蒐集家は国王や外国人を含めて33人数えられている(注10)。以上の数字およびこれらの文献資料の記述内容から,18世紀のパリでは時代が下るにつれ美術品蒐集熱が次第に高まっていったことは明らかである。この研究では主として18世紀後半の個人コレクションをいくつかの観点から考察することによって,絵画がどのように求められ,享受されていたかを考えていきたいと思う。コレクションの形成と内容絵画彫刻,素描などを蒐集する人々は,当然のことながら社会的に高い地位にあり,自分の楽しみに大金を投じることのできる境遇にあった。質の高いコレクションを持っていた愛好家は,ショワズール公やシャルル=アレクサンドル・ド・カロンヌのように王室関係の要職に就いていた者やジャン・ジョゼフ・ラボルドなどの裕福な銀行家,またエティエンヌ・ブレやローラン・グリモ・ド・ラ・レニエールなどの徴税請負人が多く,アンシャン・レジームの社会体制を反映している。新たに美術品の蒐集を始めて比較的短期間のうちに形成されたヴェリ侯爵のようなコレクションもあれば,近親者や知己からの遺贈を受けて充実させていったコレクションもあった。ラセ伯はヴェリュ伯爵夫人からの遺贈によりコレクションを豊かにしたし,有名なピエール・クロザのコレクションは甥のティエール男爵に引き継がれさらに充実していった。蒐集の仕方は,譲渡を受けるなど特別な幸運に恵まれるケースを除くと,大別して三つの方法がとられたと思われる。第ーは,画家に直接注文するやり方である。第二はサロン展などに出品された作品を見て気に入ったものを購入するという方法である。これらは当然のことながら現存画家の作品に限られるが,18世紀中頃からフランス絵-357-

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