鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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ンスの3つに分類するのが一般的であった。個々の蒐集作品についての記述には,オランダ派とフランドル派の区別が見られ,イギリスやスペインの画家の作品も言及されているが,総じて語るときはきまって「3つの画派」という表現が用いられている。このうちイタリア派は伝統的に趣味の基準であり,たいへん腺重されていたと思われる。ヴィヴィエンヌ街に住んでいた高等法院裁判官サン=モリスのコレクションはイタリアの大画家の作品で知られていた(注13)。しかしながら,こうした例は決して多くない。イタリア絵画は美術市場に出ることが比較的少なく高価で作品の入手が難しかったこと,またパリの灌洒なオテルの室内にイタリアのバロック絵画のような画面はあまり調和しないことなどから個人コレクションには,それほど入っていなかったようである。それに対し,北方絵画は18世紀を通じて根強い人気を博した。オランダ・フランドル派が揃っているコレクションは,ヴェリュ伯爵夫人以来,トロザン,デトゥーシュなど枚挙に暇がない。北方絵画は売り立てに出る作品数も需要も多く,人気の高まりとともに値段も上昇していった(注14)。18世紀半ばから世紀末にかけてドゥカンやルブランによる北方画家の研究も進んだ。愛好家の間では入念な仕上げのオランダ絵画特に風俗を詳細に描いた作品が18世紀末に人気を集めたことが知られている(注15)。もっぱらフランス派を愛好するのは新しい趣味であり,その代表者はいちはやくギリシャ趣味の家具を誂えたことで知られるラリヴ・ド・ジュリーである。そのコレクションについては,ドゥザリエ・ダルジャンヴィルや工ベールらが部屋ごとに作品の題名,主題と作者を伝えている。フランスの油彩画,パステル画,彫刻がほとんどで,一ヶ所に集められたフランドル派は20点弱,イタリア派はわずか2点のみである(注16)。フランス派はプッサンからシャルダン,グルーズにいたるまで網羅的に集められていて,自国の美術を愛好する彼の姿勢は高く評価された。フランス派を中心に蒐集したのはラリヴ・ド・ジュリーに続いて,アヴィニョン出身のヴェリ侯爵が名高い。そのほか公証人であったデュフレノワ,コンセイエ・デタであったル・ペルティエ・ド・モルフォンテーヌのコレクションもフランス派がよく揃っていたと伝えられる。フランス絵画の人気は,フランス派の優位を説くロージエ師や画商レミなどの意見に反映されているが,愛好家たちの好みは同時代の風景画,風俗画,愛らしい神話画などに向かっており,王室建造物局総監の歴史画振興の方針やヴィアンの弟子の世代による新古典主毅の推進などの様相とは,必ずしも一致しない。-359-

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