鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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蒐集家と画家との影響関係蒐集家が直接的に画家と関係をもつのは,現存の画家に注文を出す場合である。このとき注文主が作品についてどこまで指示したかは,個々の事例に関して十分な資料が得られないと判断は難しい。フラゴナールの重要な庇護者であったベルジュレ・ド・グランクールはファン・デン・エークハウトの《大きな帽子の男》と対にする作品を歴史画家ヴァンサンに注文した。現在アトランタにあるレンブラント風の《若いナポリの女》がそれである(注21)。当時のコレクション紹介に「これと対をなすのは」という表現が頻繁に見られ,また展示の仕方でも対にして掛けるのが一般的であったことを考えれば,すでに所有している作品にふさわしい対作品を現存画家に注文することはかなり行なわれていたのではないだろうか。またフラゴナールやグルーズがアカデミーを離れても旺盛な制作活動を続けることができたのが,熱心な美術愛好家,蒐集家の存在に拠っていたことはよく知られている。18世紀半ばから後半にかけて広く注文を受けた画家としては,ルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネとジョゼフ・ヴェルネが挙げられる。蒐集家は社会的に名声を確立する前の若い画家を支援することもあった。蒐集家としては評価の定まった画家の作品を購入する一方で,ローマ留学前の画家にオテルの内装を依頼したり,修業中の画学生を援助した例もいくつか見られる。て,真作かどうか疑わしいことのあるイタリア絵画よりもオランダ絵画を選ぶようになったことにも起因している。こうして北方のマイナー画家に対する関心が高まり,絵画市場でも需要が高まると,ハブリエル・メツーやヘラルト・ダウなどの作品は非常な高値で取引されるようになった。愛好家や蒐集家たちの間で細密に描かれたオランダ風俗画の人気が高まると,今度はフランスの画家たちのなかにそうした画風を摂取する者が現われた。マルグリット・ジェラールやボワイーなど18世紀末から活躍した風俗画家たちの様式は,明らかに17世紀オランダの一部の絵画を想起させるものである(注22)。このようにして蒐集家たちの好みは,直接注文するという形をとらないにせよ,画家に影響を及ぼしたと考えられる。おわりに各種のパリ案内に記されているコレクションは大半が見学可能であったとはいえ,18世紀を通じて見られたオランダ絵画人気は,蒐集家が画商や鑑定家の勧めに従っ-362-

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