鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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⑱ フィデンツア大聖堂のクリプタ研究者:イタリア国立ピサ高等師範学校大学院児嶋由枝北イタリアを横断するポー河中流域にあるフィデンツァ大聖堂は,3世紀末に殉教した聖ドムニヌスの聖骸を奉じており,すでに8世紀には存在していたと考えられている(注1)。その後,11世紀から12世紀前半にかけて再建が進められるが,程なく戦渦に遭い,現在の聖堂は1160年代から1269年にかけての長きにわたって建造された。これは,いわゆるロンバルディア・ロマネスク建築,及び彫刻が,フランス・ゴシックの影響をうけつつ固有のゴシック様式を展開しようとしていた極めて微妙な時期にあたる。それゆえ,いまだ詳らかでないこのロンバルディア・ロマネスクのゴシックへの過渡期の様相を解明するうえで,長いエ期の間に多様な国内外の美術動向を独自に咀哨した同聖堂の建築と彫刻は重要な鍵を握っている。にもかかわらず,これまでこの大聖堂工房全体を対象にした体系的な研究はなされていない。それは,研究者たちの関心が専ら,イタリア・ゴシック彫刻黎明期の俊傑とされるベネデット・アンテーラミの,同聖堂への関与に向けられていた為である(注2)。こうした状況を鑑みてフィデンツァ大聖堂の研究を進めている筆者は,平成7年度鹿島美術財団研究助成金によって20分の1の写真測量図を実現できることとなった。フィデンツァの測量技師ペトラッツィ氏,および彼の助手らによって,今日までにクリプタの平面,横断面および縦断面の写真測量図がほぼ完成され,現在,アプスの内壁とファサードの図面が制作中である(注3)。本稿では,写真測量図がおおよそ完成されたクリプタの,1200年頃における改変に限って論じていきたい。1,記述,年代設定,及びこれまでの研究記述一ーフィデンツァ大聖堂のクリプタは全長18.096m,幅5.276mで,両側中程に礼拝堂を従えている〔図面1-4〕。アプスはほぼ東を向いている。縦2列に各々5本の円柱が並び,これらは計18のドーム状交叉ヴォールト(弯窟)を支持する。ドーム状交叉ヴォールトとは,横断,断面アーチの曲率と交叉アーチの曲率が等しく,それ故.交叉アーチの要石が,横断,断面アーチの要石よりも高い位置にあるヴォールトを指し,北イタリアの中世建築に特徴的なものである。全てのヴォールトのオジーブの切断面は円形である。柱頭は,1つに獅子と人頭獣が表されている他は全てクロケ-371-

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