そ同一(約3.8m)である。3一平面図〔図面1〕に記載されている左右の礼拝堂の各部の全く関連の見いだせない測定値は,両礼拝堂は既存の構造に強引に適合させられていることを示唆している。4ー同じ平図面における南の礼拝堂の東端突出部は,かつてのクリプタの側廊のアプスの一部と考えられる。次に,以下の2点よりクリプタが東方向に延長されたと見倣せる。1一平面図〔図面1〕に示されているヴォールトの交叉オジーブのうち,縦方向のベイの東から2つめまでは,柱を挟んで斜めに連なるオジーブはほぼ直線上にあるが,その他のベイのオジーブは,それぞれ柱を介して幾らかの屈折を見せている。すなわち,少なくとも東から2つめまでのベイは延長部分であり,それ以外のヴォールトは,より古い時代の遅れた技術をもってして架けられたヴォールトをかなりの程度再利用したものと推定される。2一縦断面図〔図面4〕に幾らか書き込まれているように,縦方向のベイの東から3つめまでの周壁には石灰岩が,残りの部分には煉瓦が用いられている。最後に,次の2点から,現在のクリプタは1179年から1207年にかけて,上述のように既存の構造を利用しながら,一貫した計画のもとに造営されたと言える。1一縦断面図〔図版3〕に明記されているように,柱基,柱身,柱頭の各部の高さが皆大体において等しい。2ーオジーブの断面がみな円形で,柱頭も1つを除いて全て互いに類似したクロケット柱頭である。そして,これらの様式は12世紀末から13世紀初頭にかけて北イタリアに導入されたフランス・ゴシックの要素の最初期の例である(注12)。4, 12世紀前半のクリプタの形状と,改変の理由上記の考察から,12世紀前半の,すなわち1179年から1207年にかけて現在のクリフ°タが建造される以前のクリプタの形状は3廊式で,その身廊は現在のものより短かかったと判断される。クリプタの南北の側廊の西壁面は,身廊の縦方向のベイの西から2つめと3つめのベイの境界線の延長上にあり,これらの側廊の平面は方形にアプスを冠したものだったと考えられる。また,12世紀前半のクリプタの身廊のアプスを平面図上において形づくる弧の起点は,東から2つめと3つめのベイ境界の両端に位置していたのではないかと思われる。このクリプタの形状に最も近いのは,規模こそ違うが(フィデンツァのクリプタの面積の約3倍),隣町のピアチェンツァ大聖堂のクリプタ(1140年以前)である〔図面5〕(注13)。興味深いのはピアチェンツァ大聖堂のクリプタの階段が,1895年まで両脇から両側廊に続いていたということである。上述結論に代えて-374-
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