鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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残る『賦何草連歌』や「賦何家連歌』にはかれの名前が記されている。また,西山宗因が笛崎宮に詣でた際に行なわれた百韻連歌会に参加したとの記録も残り,中央の歌壇とも交流があったと考えられる。次に外題を記した妙法院に注目したい。ここでの妙法院とは,当時妙法院に住し天台座主をつとめていた廃恕法親王である。かれは,具慶を得度した人物で名実ともに具慶のパトロンであった。また,詞書筆者である中院通茂や白川雅喬の集う宮廷サロンの中心人物でもある。そのため,本縁起の制作にあたって実質的な指揮をとったのは,この妙法院,すなわち党恕法親王であったと推測される。以上のように,本縁起絵は具慶の優れた作品であると同時に,どのような人々によって制作され,また,どのような経緯で中央から筑前へともたらされたのかを知る貴重な縁起絵と考えられる。箇崎宮蔵「絵入縁起」二巻(紙本着色上巻32.5X 764.3 下巻32.7Xl022.5)「絵入縁起」も「箱崎八幡宮縁起」と同様,筈崎宮に残る八幡縁起絵巻である。なお,この名称は両巻に残る題箋によるものである。現在は,上下二巻からなり,上巻は詞書四段,絵三段,下巻は詞書八段,絵七段から成り立っている。所々に落丁や錯簡と思われる箇所が見られるが,仲哀天皇崩御から石清水八幡宮勧請までをあつかった典型的な八幡縁起の構成をとっている。また,本絵巻の表紙には金茶地に金糸で菱形花文様をあらわした裂が施され,見返しには全面金箔が貼られている。さらに詞書部分には,金泥で霞や桔梗,橘,朝顔といった花木を描いた料紙が使用され豪華な仕上がりとなっている。詞書は,平仮名が多く,漢字の一部には振り仮名も付されている。また,読者が読みやすいようにとの配慮であろうか,文字の配分や行間がゆったりとられている。詞書の内容は,ところどころに写しくずしが見られるものの八幡縁起諸本と大差なく,特定の八幡宮のために制作されたとは考えにくい。しかしながら,近世に入って大量に生産された,よみもの的性格のつよい八幡縁起に見られる意図的なストーリーの脚色はなく,かえって古様を残しているといえよう。本絵巻の絵画部分は,色鮮やかな顔料をあつめに彩色し,部分的に金泥がほどこされている。鮮麗かつ装飾的な画面である。また,人物の顔面描写は,やまと絵の「引目鈎鼻」的表現は見られず,上下の瞼や目玉,さらには鼻孔まではっきり描き込まれた実人的表現がなされている。これは,近世初期の住吉派から顕著に見られるように-386-

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