段落構成は,上巻が詞書十四段,絵十三段,中巻が詞書十六段,絵十六段,下巻が詞書十二段,絵十二段から成り立っている。奥書の通り,本縁起は三条西実隆が詞書を執筆し,土佐光信が絵画を描いた北野天満宮蔵「北野天神縁起」(以下,光信本と呼ぶ)あるいはその系列の天神縁起をもとに制作されたのであろう,段落構成はこれらと一致する。詞書は,金泥で引かれた界線の中に記されている。内容は,転写の際の誤りがところどころに見られるものの光信本とほぼ一致する。また,絵と詞書をつなぎあわせる際の手違いであろうか,詞書が文章の途中で切断されたり,あるいは詞書より前にその内容の絵が挿入された部分がある。絵画は,全巻を通じて色鮮やかな顔料を用い,つくり絵的表現がなされている。霞や地面には下地がかくれるほどふんだんに金,銀の箔や砂子が敷きつめられ,奉納にふさわしい鮮麗で豪華な画面に仕上がっている。また,樹木や土破,波などの表現も伝統的なやまと絵の描法に則ったものといってよい。しかしながら,人物表現は,描線がかた<,動きもややぎこちない。また,顔面描写も太い描線で簡単に描いた部分が多く,素朴な描写も見られる。先の『筑前国続風土記拾遺』には,本絵巻絵画部分の作者を土佐興起と記しているが,これが,土佐光起(1617■1691)とするならば年代的に無理がある。また,当時土佐派は光則(1583■1638)が中心となって堺で絵画制作活動を行なっているが,本縁起の表現は光則の神経質なまでの細緻な表現とも異なる。以上のことより,本縁起を制作した絵師は,専門的に絵画を学んだ形跡が各所にうかがえるものの,正系の絵師とは考えにくい。あるいは土佐派周辺の絵師であろうか。いずれにしても本縁起は奥書の残る福岡県最古の天神縁起であり,近世初期における筑前の文化動向を知る上で貴重な資料と考えられる。なお,本宮にはこの元和本を写したと思われる「北野天神縁起絵巻」三巻(嘉永二年詞書は飛鳥井雅章が執筆)も伝わっている。太宰府天満宮蔵「菅公御縁起画伝」十二幅(紙本着色各幅107.7X45.9)本縁起は掛幅装の天神縁起で,一幅に二〜五場面が描かれ,計五十二場面から成り立っている。内容は,道真の生涯と北野社創建に加え,・道真が太宰府配流のおり道明寺にて伯母覚寿尼と別れを惜しむ(第六幅第二図)-388-
元のページ ../index.html#399