•同じく配流の道中,漁船の綱を巻いて敷物とする(第六幅第三図).斧を摺り,針を作る老人に出会い,すべてのことは精勤しなければ成就しがたいと悟り無実の罪が晴れるよう祈る(第七幅第二図)など,「北野天神縁起」には見られない独自の天神説話が描かれている。また,本縁起で特筆すべきは,・道真が太宰府配流の道中,川に映った我が身のやつれた姿を見て嘆く(第六幅第四図)道真を接待する(第六幅第五図)・人に悪業をなす鯰を,道真が退治する(第七幅第三図)・道真が宋の禅僧仏鑑禅師のもとへ参じ仏法を感得する(渡唐天神)(第十一幅第二図)・失われていた証文が,天満宮に祈ったところ鰈の腹中より出てくる(第十一幅第三図)・大江匡房によって天満宮の御神幸祭が始められる(第十一幅第四図)等といった九州を舞台にした天神説話が挿入されている点であろう。本縁起に先行する縁起絵の存在は,現在のところ確認されていない。しかしながら,本宮所蔵の「天濶宮縁起」(元禄六年)には,「菅公御縁起画伝」同様,道真の生涯,北野杜創建に加えて,綱を敷物とした話,老婆が道真のために臼の上に座をつくる話,鰈より証文がでてきた話,御神幸祭の由来などが記述されている。この「天満宮縁起」の内容と「菅公御縁起画伝」の図様とは必ずしも一致しないが,両者とも太宰府天満宮独自の天神繊起制作を意図した点において注目されよう。さて,次に本縁起の絵画表現をみていきたい。本縁起の画面は,比較的薄い彩色がほどこされている。色数は少ないが,適所にほどよく彩色され嫌味がない。また,淡墨でひかれた輪郭線は,なめらかで伸びがあり,そつなく,かつ丁寧に描かれている。人物描写もそれぞれの場面や身分によって,表情や仕草を描き分けている。また,貴人の顔の陰影のつけ方などには,狩野派に通じる表現も見られる。さらに,本縁起で注目すべきは第九幅の清涼殿落雷の場面であろう。この場面は,画面上半分を使ったもので,暗雲から飛来する雷神と慌てふためく内裏の人々を縦長の画面の中で巧みに表現している。•太宰府の諦居の近くに宿をとったおり,老婆が臼の上に座をつくり,麹飯を奉って-389-
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