鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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(ママ)伯幽山益乗仕筑州大守一代断絶号景古斎」これらのことより,本縁起は手慣れた絵師によって制作されたと考えられる。以下,本縁起を制作した絵師について考察を加える。本縁起には「泊氏守治」とよめる朱文方印が押されている。泊守治に関しては『筑前名家人物志』(森太郎編明治40年発行昭和54年文献出版再版)に,「守貫泊益乗景古斎幽山卜号ス画衣笠守昌似タリ守治泊助太夫守貫ノ子ナリ」との記述がある。また,『大日本書画名家大鑑』には,「幽山〔画〕泊幽山名は益乗景古斎と号す狩野洞雲の門人筑州大守に仕ふ元禄頃」と,『古画備考』狩野門人譜には,「洞雲門人とある。以上の資料から,泊守治とは元禄年間に筑州大守(黒田綱政力)に仕えた泊守貫の子,守治を指すものと推測されよう。なお,同宮には,やはり筑前の絵師である泊与市の描いた「太宰府天満宮境内図」が残されている。守貫,守治との関係は明らかでないが姓を同じくすること,太宰府天満宮に関する絵画制作にたずさわっていることより,同じ画派の絵師と考えられる。以上のことより,本縁起は太宰府天満宮が本宮独自の天神縁起制作を意図して,在地の絵師に制作させた地方色のつよい天神縁起であるということができよう。-390-

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