鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
402/747

ー1640年代を中心に一⑳ ニコラ・プッサンの視覚的源泉に関する基礎的研究研究者:愛知県美術館学芸貝栗田秀法本研究題目のもとに行われた研究調査からは,《エリエゼルとリベカ》(1648年,ルーヴル美術館),《サフィラの死》(1652年頃,同美術館),《足萎えの男を癒す聖ペトロと聖ヨハネ》(1655年,メトロポリタン美術館)について新しい知見を得ることができた。前二者については別のところで報告したため,ここではその要点のみを記すにとどめる。《エリエゼルとリベカ》では,主人公リベカのポーズが17世紀初頭の同主題のあるエ芸品に現れるポーズと関連があること,またそれが同時にこの主題の予型である「受胎告知」の図像のうち「思慮Jの類型と関連していること,また,いくつかの人物モティーフがレオン・ダヴァンによる同主題の版画に山米していることなどを示した(拙稿「ニコラ・プッサンの《エリエゼルとリベカ》の覚書き」『美学美術史研究論集(名古屋大学文学部美学美術史研究室)』第13号(1995)所収)。次いで《サフィラの死》〔図1〕では,マールテン・ファン・ヘームスケルクに基づくフィリップ・ハレの同主題の版画〔図2〕がその構図のプロトタイプであることを揖摘し,さらに構図の生成について若干の考察を試みた(印刷中の拙稿「ニコラ・プッサン作《サフィラの死》術史の軌跡と波紋(辻佐保子先生献呈記念論文集)』)。本報告では,3つめの《足萎えの男を癒す聖ペトロと聖ヨハネ》(J.Thuillier, Poussin, Paris, 1994, no.216;以下Th.と略す)〔図3〕について詳しく報告する。プッサンは,1655年にリヨンの財務官メルシェのために《足萎えの男を癒す聖ペトロと聖ヨハネ》を描いた(注1)。パリの幾人かの収集家の手を経て(注2)'この作品は現在の美術館にリヒテンシュタイン公より1924年に収蔵された(注3)。この作品は,《姦通の女》(1650年代はじめ,ルーヴル美術館)《サフィラの死》とともに「街景画」のグループを形成する晩年の傑作のひとつであるが,ピエール・ローザンベールが述べるように,不当にもそれに値する注目も賞賛も与えられてこなかっフィリップ・ハレの版画との関連をめぐって-391-構図の生成過程をめぐる二,三* 」『美

元のページ  ../index.html#402

このブックを見る