た(注4)。ここでは,これまで指摘のなかった視覚的源泉を指摘すること,さらには構図の生成過程を再考することを主眼とし,作品再評価の一助とすることにしたい。次に最初に作品を概観しておこう。画面左手の太い二本の円柱と右手の建築物との間にある階段の踊り場の背後に遠景が広がり,画面の中心のやや右下に置かれた線遠近法の消失点に向かって建築物が幾何学的に組織されている。また,空気遠近法も巧みに用いられ,遠景への後退が巧みに表現されている。画面左隅では,ひとりの男が階段を昇りはじめ,幼児を膝に載せつつ両手を広げて物乞いをする母親に施しを行っている。画面右手には,右方向へ視線を投げかけながら階段を昇ろうとする青年と,左を向いて階段を降りる白髪の男とがすれ違っている。階段上には,長衣に身を包む頭の禿げた壮年の男と若い男とが立っている。壮年の男は右手を差し出し,若い男は右手で地面に座る男の左手をつかみ,左手を頭上に挙げている。登場人物全体は,踊り場の上の中心人物を頂点とする安定したピラミッド型に配されている。また,画面右手に階段を登り降りする人を併置することによってすべてが階段上の人物に収倣する単調な求心的な構図は避けられている。その一方で,人物の衣の色の巧みな配置により右下から左上への方向性が強められている。右下の人物には,極めて際だつ緑と赤,青が大きく用いられているのに対し,左下の人物には原色が用いられていない。また,画面中央の人物には黄色と薄い青,ピンク色と薄緑色が用いられている。プッサンは『使徒言行録」の次の一節に従い場面を描写している。ペトロとヨハネが,午後三時の祈りの時に神殿に上っていった。すると,生まれながら足の不自由な男が運ばれてきた。神殿の境内に入る人に施しを乞うため,毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て,施しをこうた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て,「わたしたちを見なさい」と言った。その男が,何かもらえると思って二人を見つめていると,ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが,持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり,歩きなさい。」そして,右手を取って彼を立ち上がらせた。(新共同訳『使徒言行録』3: 1-6) -392-
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