考察中の絵画は,再三にわたりラファエッロに基づくシスティーナ礼拝堂の同主題のタピスリーとの比較がなされてきた。しかし,バロウが示すまでもなく,両者を比較すると,表現上大きな相違が存在することがすぐさま了解される(注5)。だとすれば,プッサンはいかなる過程を経て彼独自の構図を発想するに至ったのであろうか。既にプッサンの作品の建築的なセッティングに関しては,オスカー・ベッチマンが明らかにしたように,マルカントニオ・ライモンディによるラファエッロの《マグダラのマリアをキリストに導くマルタ》〔図4〕に基づくエングレーヴィング版画が参照されている(注6)。階段および二本の太い円柱,さらには低い視点などが共通している。ただし,版画では人物が画面に平行に昇っているのに対して,プッサンの作品では,画面に垂直に人物が昇り降りしているしていることが大きな相違点となっている。次に,聖ペトロ,ヨハネと足萎えの男の群像には,ラファエッロに基づくタピスリーの該当部分が意識されている。現実には,画家はタピスリーもしくはラファエッロの準備素描に基づく版画を手元におきつつ熟考したに違いない〔図5〕(注7)。というのは,プッサンはマルカントニオ・ライモンディ,アゴスティーノ・ヴェネツィアーノ,カラッチー族,デューラー,ジュリオ・ロマーノ,ポリドーロ・ダ・カラヴァッジョ,ティツィアーノなどの版画1300点を所持し(注8)'構想過程で絶えず参照していたと考えられるからである。さらに,トンプスンは,ペトロと足萎えの男の手には,ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂天井画における《アダムの創造》が意識されていることを指摘している(注9)。プッサンの作品で聖書の記述と異なりペトロが足萎えの男の左手を取っているのは,おそらくそのことも一因となっているのであろう。忘れてならないのは,高階秀爾氏がプッサンがラファエッロの《アテネの学堂》に感化を受けていることを示唆していることである。さらに,同氏はプッサンの画面右手の階段を昇る若い男のためにやはり《アテネの学堂》に現れる一人物〔図6〕が借りられていることを指摘している(注10)。けれども,残念ながら,これらの指摘が日本語でなされたため,欧米における議論には取り入れられていないようである。確かに,これらのソースの重要性については疑いをはさむ余地がないように思われるが,件の階段を昇る男についてはさらに考察の余地があるように思われる。というのは,もちろん単なる形態上の興味からという可能性もあるけれども,他の可能性も想定されるからである。-393-
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