この点に関して,フィリップ・ハレによるマールテン・ファン・ヘームスケルク《足萎えの男を癒す聖ペトロと聖ヨハネ》〔図7〕に基づくエングレーヴィング版画がプッサンにとってのソースであった可能性をここで提起しておきたい。この版画は連作「聖ペトロ,聖ヨハネ伝」の一枚で1558年に制作されたものである(注11)。版画で視覚化された場面は,足の不自由な男が立ち上がりはじめる場面で,フ゜ッサンより時間的にやや進んだ場面である。けれども,ペトロの四分の三正面の向きは,ラファエッロのタピスリーよりもこちらの方がプッサンの作品と共通している。右手を前に出して身体を傾ける様は,むしろフ゜ッサンの聖ヨハネと共通しているかもしれない。また,プッサンの作品では画面左手に描かれた,階段の途中で物乞いをする女性と施しをしつつ階段を昇ろうとする男性というモティーフのアイデアは,ハレの版画の右手の物乞いをする人物に施しをする聖ヨハネというモティーフ述から逸脱して描かれたものであるが一一ーに由来するのではなかろうか。また興味深いのは,版画の聖ヨハネも先の《アテネの学堂》の一人物を左右反転させたものであることである〔図6,8〕。さらに,プッサンの作品の前景でひときわ目を引くのが,画面右手の階段を昇る青年と階段を降りる白髪の人物である。このすれ違う両者の関係は,ハレの版画の聖ヨハネと聖ペトロの関係とパラレルなものであるとは考えられないであろうか。すなわち,プッサンはこの部分の描写にハレの版画の主人公を左右反転させて利用しているのである。プッサンの階段を昇る男とハレの聖ヨハネには,左右に視線を投げかける顔の向き,顔を向けた方とは逆に差し出された腕,そこから生じるねじった身体のポーズ,衣の表現,髪型等に否定しがたい類似性が存在する〔図8,9〕。また,プッサンの階段を降りる人物とハレの聖ペトロとの間にも人物類型に類似がある。われわれはここまで,視覚的な源泉について列挙してきた。しかし,さらに重要に思われるのは,どのような論理の下でプッサンはそれらを見事に組織し完成した構図に練り上げていったかを見極めることである。プッサンはこの場面を描くに当たり,しばしば評されるように,何気ない市井の出来事の一駒であるように描いている(注12)。奇跡を間近に見た人のみが反応を示し,他は何事もないかのようにそれぞれ振る舞っている。これは聖書の記-394-
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