⑫ 桃山から江戸前期における美濃焼と唐津焼・伊万里焼の比較研究研究者:佐賀県立九州陶磁文化館学芸員鈴田由紀夫研究の視点桃山期の美濃焼と唐津焼を概観すると漠然とした共通性が感じられ,窯業地間の影響関係があるはずだと思い比較研究を始めた。作られたやきものを比較する場合,それぞれのやきものの制作年代が重要となる。文様や形が似ていると言っても,制作された年代によっては,解釈がまったく異なるからである。どちらが影響をうけたかによって,生産地としての優位性が問われることになる。美濃焼と唐津焼・伊万里焼の制作年代については,古窯跡の発掘調査をもとに10年から20年単位で編年されており,美濃と肥前の編年表を合わせると総合的に比較することができる。しかし,ほぼ同じ時期に似通ったやきものが作られている場合は,どちらが先に作られ,どちらが影響されたかを知るのは困難である。元屋敷窯出土の「美濃唐津松文花生」と甕屋の谷窯製とされる「絵唐津松文大皿」は,両者とも淡茶色の素地に鉄絵で同類の松文を描いている。形態は異なるが,文様や釉調は類似しており,同時代の趣味を感じさせる。制作年代がほぼ同じと考えられるため,その時代の流行ととらえられるが,唐津の影響をうけて美濃唐津が作られたのかどうかは確証がない。美濃と唐津で共通する作例はほかにも多く見出せるが,こうした共通性の成立する要因は,両生産地の総合的な比較においてとらえるほかはなく,この研究調査においては可能なかぎりの視点からの比較をおこなった。従来,志野・織部と唐津を比較する研究はある程度なされているが,御深井と伊万里を比較することはなされていないため,このあたりまでさらに広げて調査をおこなった。比較する様式美濃でやきもの生産が始まるのは,古墳時代(7世紀)の須恵器からである。その後平安時代に猿投窯(愛知県)から陶エが移り,白完や青荒が生産された。鎌倉から室町時代にかけては,古瀬戸系の陶器が焼かれた。さらに16世紀になると大窯と呼ばれる窯が作られ,やきものの種類や技法が多様化した。特に茶道の流行が特徴あるやきものを生み出し,創作性が高められた。また17世紀初頭には肥前から階段状連房式登窯が導入され,焼成技術の革新が行われた。以後美濃地区の窯は登窯の時代となる。-415-
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