が減少し,また美濃焼のシェアも圧迫したと考えられる。美濃の御深井は,磁器製品の代替品として擾頭したように思える。御深井と伊万里において同類の変形皿が見られるが,これは伊万里が先行し,美濃がこれを模倣したと考えられる。伊万里焼は日本で最初の磁器製品として急速に発展した。表現技法が多様であり,美濃の御深井とは比べ物にならないほど,種類が多く生産量も多い。また肥前においては伊万里焼の創始によって,唐津焼の需要が狭められた。まとめ美濃と肥前の1600年前後の状況を,やきものの様式を比較しながら考察してみたが,両者の関係は流動的で,相互に影響を及ぼしている。様式においては,志野や織部は唐津に影響を与えたと言える。唐津に見られる文様は,志野や織部の文様の影響が多いと考えるべきであろう。京都の茶人たちの注文が美濃へもたらされ,美濃で斬新なやきものができると唐津でこれ力渇莫倣される。しかし唐津の登窯は美濃の大窯より大量のやきものが焼け,消費地における美濃焼のシェアを狭めていった。さらに肥前で伊万里焼が興るとますます美濃は不利となり,御深井のような磁器製品を模倣したやきものを制作するが,競争には勝てなかった。ある時代において類似するやきものがあった場合,当時の勢いのある産地のものがオリジナルであり,他方は影響をうけたやきものと考えることができる。唐津焼においては,1600年以前は質・量ともに美濃の下位にあった。1600年以降は質においては織部の影響を受けたが,量においては唐津焼の方が優位になり美濃焼のシェアを圧迫した。さらに伊万里焼が始まると質・量ともに美濃の御深井を凌駕した。美濃焼と唐津焼・伊万里焼を比較するため,両産地の出土陶片,消費地の出土陶片,各地の伝世品の調査をおこなった。これにより上記のような傾向が把握できたが,新しい疑問点も浮かび上がってきた。例えば唐津にあって美濃にない技法として象嵌.刷毛目・叩きの技法があげられる。また織部で向付に多用された型成形が,唐津では生産されていない。あるいは唐津焼では銅緑釉も鉄絵もありながら,織部のように一つの作品に銅緑釉と鉄絵が併用されていない点も不可解な問題である。こうした技法的な相違がどのような要因で生じてくるのか。今後この調査研究をもとに追求してみたい。-422-
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