鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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⑬ 「雪のサンタ・マリア」図の黒子(ほくろ)研究者:長崎県立美術博物館学芸専門員徳山はじめに長崎二十六聖人記念館所蔵の「雪のサンタ・マリア」図は,長崎県の西彼杵半島の東シナ海側の小村,外海町(ここは古くから良く知られた「隠れキリシタン」の里である)で発見された。このマリア図を長崎二十六聖人記念館館長・結城了悟神父が確認された時の様子は神父の著書『キリシタンのサンタ・マリア』(1979年7月発行)の中で次の様に記されている。「喜びと好奇心を抑えながら私は家の外に出て古い紐を解き,ゆっくりと掛軸を開いた。目の前に現れたのは,紙の上に日本の絵の具で描かれた無原罪の聖母の絵であった。大変傷んでいたが,幸いにも顔と手はまだ完全に残っていた。モデルになったのはイタリアかスペインのものであったが,私の手にあるものは日本の筆の跡が見られる。ロザリオの十五玄義の絵(京都大学のほか,高槻市の近くの東家にも保管されている。京都大学のものは大正年間に茨木市の原田家から発見されたもの=筆者注)の縁に描かれている被昇天の聖母に似ている。キリシタン時代からこの家族によって保存されていたもので,おそらくイルマン・ニコラオの指導の下に長崎で描かれたものであろうと思う。……」結城神父の記述のように,このマリア図は顔から手を合掌する胸にかけてと,頭部の背景と左手の袖の部分以外は全く残っていない〔図1〕。神父はこの図をマリアの合掌する姿と頭部に僅かに残っている宝石をちりばめた宝冠の一部から「無原罪の聖母の絵」と判断され,「ロザリオの十五玄義の絵の縁に描かれている被昇天の聖母に似ている」と判断されたようである。ところで,「雪のサンタ・マリア」図の発見の様子を記された結城神父の著書『キリシタンのサンタ・マリア』には,この図の他にも,色々のマリア像の写真が掲載されている。その中の一点は1591年に,バレト神父が編集し,現在バチカン図書館にある,いわゆる『バレト写本』(ellibro manuscrito del P. Manuel Barreto S. J., propiedad 『キリシタン研究第7輯」として,またその復刻版は同7輯別冊として出版されている)の中に挿図として用いられている5枚の銅版画の1枚としての聖母マリア図〔図de la Biblioteca Vaticana. Vat. Reg. Lat. 459この写本については,吉川弘文館から光-423_

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