2〕である。これは1590年頃日本にあったセミナリヨの画学生か教師が模刻し,和紙に刷ったものと考えられる版画である。図様は写真のように画面の下方には,眠る幼児キリストが彫られ,そのキリストに向かって手を合わせる聖母マリアの上半身は頭部に宝冠を載せ,頭部を頭光で囲み,その頭光の中には「月の如く美し」(Puleraut luna.)の文字も刻まれている。この作品の図様は「聖母と眠れる幼児キリスト」と呼ばれる図像であり,15世紀中頃のフランドル世界で始められ,16世紀全体を通じて広く普及していた図像と言われ,長崎県立美術博物館所蔵の須磨コレクションの中にも,1600年頃スペインのカスティーリャのバリャードリード周辺で制作されたと考えられる板絵が一点存在する〔図3〕。この作品についての解説(『須磨コレクションスペイン美術』長崎県立美術博物館1980 年発行,所収。現・東京芸術大学教授越宏ー氏解説)の中でも,先の『バレト写本』の中の同図様が参考図として掲載されている。長崎県立美術博物館では,戦後行方が分からなくなっていた旧称「帝王図」(南蛮貿易時代のいわゆる初期洋風画)を購入し,新たな名称で国の指定を受けることになった重要文化財「泰西王侯図屏風」の公開記念の展覧会,「近世長崎のあけぼの」展を1987年10月に実施したが,その時,この「雪のサンタ・マリア」図を展示したので,詳しく観察する機会を得た。この時,上記の三点「雪のサンタ・マリア」図,『バレト写本』の中の「聖母と眠れる幼児キリスト」図,須磨コレクションの中の「聖母と眠れる幼児キリスト」図を同時に,考察する機会に恵まれた。この三点の写真を並べれば,そのマリアの向き,手の合わせ方,頭の宝冠などが,ほとんど同じである事に気付く。さらに,『バレト写本』のマリアの頬と同じく,「雪のサンタ・マリア」の頬にも,小さな黒い染みがあることにも気付かれるであろう。この二点,『バレト写本』の「聖母と眠る幼児キリスト」と「雪のサンタ・マリア」は,ともにわが国のキリシタン時代のセミナリヨの画学舎で制作された物であるが,このことと先の共通点と考え合わせれば,同一の原画を元に,その二点がそれぞれ制作されたのではないかと,考えることは可能であろう。即ち,この二点はヨーロッパから送られてきた版画をもとに制作されたのではないか,その時,原画に在った頬の染みも忠実に再現したのではないか,と考えても良いであろう。ただ,「雪のサンタ・マリア」が本来の画面の極一部しか残っていない以上,そのように断定するには,少なくとも『バレト写本』の「聖母と眠る幼児キリスト」図の現-424-
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