鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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物を直接観察してこの染みが単なる写真の傷なのか,忠実な再現なのか,どうかの確認が必要である。この様な理由のために,バチカン図書館で実見するための費用の援助をお願いすることになった。バチカンにてバチカン図書館での実見は本当に有意義であった。マリアの頬には確かに染みが在った。しかも,それは二重の染みであった。これは普通の写真では絶対に判別できないものである(かなりの倍率のレンズによる接写が必要)。しかし,肉眼では明らかに,銅版画として刷り出したものが少し弱く,インクが薄かった為であろう,その上からもう一度,鵞ペンか何か,三角形状の跡を残す物で強調されているのが,見て取れる。このことは,この「染み」が意図的に付けられた事を意味する。日本に居て考えた,原画に偶然にできていた銅板上の傷までも再現したものであろう,と考えた予測は一応は的中したとは言え,何かのずれを感じない訳にはいかない。これは無知な日本人が単に銅板上の傷を,忠実に再現したのではなく,何等かの指導の下に強調されたと受け取るべきであろう。これは明らかに染みではなく,意図的な「ほくろ(黒子)」である可能性が出てきたと言うことになる。従って,この調査は単なる原画を探すだけの調査に終わることなく,この黒子をマリアの頬に表現しなければならないその意図の追究が新たな課題として持ち上がった訳である。マドリードにてこうなると,どうしてもこれらの作品,『バレト写本』の挿絵と「雪のサンタ・マリア」との共通の原画を探すか,このような「黒子」のある作品を探さねばならなくなった。バチカン図書館で探すことも可能だか,言葉と時間の問題があったので,予定どおりにマドリードで調査する事にした。マドリードには言葉と時間に自由な友人が居たからである。マドリードの国立図書館には宗教版画のコレクションがあることは知っていたが,その膨大なコレクションのどこから調査を手掛けるかすら問題であった。イタリアとスペインの版画で,「マリア」に関係するものを写真で探す事にしたが,原画と思しきものは勿論の事,1500年代や1600年頃のような古いものでも,似たものすら見出だせなかった。マリアの頬に「黒子」らしきものの在るものでも,一点のみしかも1731年の作である。マドリード市内に宗教版画のコレクターが居るとのことで,-425-...

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