鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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ば16,17世紀においてや,それより前の中世においてすらあらゆる表情や印はヨーロ通して,そして続く時代,カトリック教会の教義が布告された19世紀まで行われた議論の枠の中に置かねばならない。これらの議論が広まる中で,無垢受胎の支持者たちは芸術作品を依頼し,天国に住む天使のようなマリア,唯一人で,雲の中に,時には悪魔を踏みつけ,惑星――ー地球の上に,天使に取り囲まれて,などなど,を表現するために,また聖母の偉大さやその輝かしさを証明するために,芸術家たちに影響を及ぼしたのである。無垢受胎の概念は,汚れ無く宿すことであって,それは汚れ,染みmanchaが無いことである。垢受胎の威厳をマリアに与えるのとは逆の立場を守るための一つの芸術的論点である。黒子と汚れlunarymanchaを結び付けて考えるこのテーマに関して,学者間における,シンポジュームや会議や大学の学会での何等かの会談が開かれている。この議論のついての文書などの証拠も何もないが,いずれにしろ,幾人かはこの理論を支持することに賛成であり,他は反対であると述べねばならない。私の意見は,多分・,黒子は無垢受胎laInmaculadaに反対する暗示だと言うことである。何故ならッパ絵画においては意味深いもので,そのことを今日の無数の図像研究が明らかにしているのであるから。更に,同氏はマリアの黒子に関する論文が見付かったら知らせようと言われたが,簡単に探せなかったらしくその後の連絡は無い。以上がバチカンとマドリードにおける調査結果である。長崎にてただ意外な発見に,帰国後の長崎で出会うことになった。長崎県立美術博物館は1995年11月で開館30周年を迎えた。この記念行事の一つとして,この館のスペイン美術の収集の母体となった須磨コレクションを寄贈された須磨家からの追加寄贈予定の300点余の西洋絵画類の中から65点に修復を施し展示する計画を杓:っていて,館内で修復作業を行っていた。その65点の中に作者不詳の板絵「聖母子」図〔図4〕があり,修復の過程を注目している内に,ある日,マリアの顔の部分2. 3.ー一聖母の顔の黒子の表現は汚れの暗示(黒子は汚れ)であり,だからそれは無-427-

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