のクリーニング作業に遭遇した。マリアの左頬骨の後ろ寄りに少し不自然に感じられる隈が在ったが,これが他の部分と同じクリーニング溶剤で除去され,その隈の下から他の顔の部分と同じ明るい肌色が現れ,その部分の中央部に黒い「ほくろ」(黒子)〔図5〕が現れたのである。このほくろは,明らかに当初,描かれたもので,なにかの理由で塗り消されて居たものであることは,その絵の具層の関係から分かる。この板絵の作品は16世紀後半のフランドル系の作品であろうと,前・国立西洋美術館館長前川誠郎先生や長崎大学教授兼重護先生などが考えられている。この作品のX線写真ではこの絵の下に,下絵と思われる図様が在り,それには画面左下方にもう一人の肩を露出した女性が見えるし,風景の部分は先の須磨コレクションの中の「聖母子と眠る幼児キリスト」のように,カーテンが垂れている,と言ったような別の意味での興味も持った作品でもある。兼重護先生は「本図が15世紀初頭のヤン・ファン・エイクに始まるフランドル絵画の様式を示すものであることは間違いない。15世紀末にはスペインの画家でこのフランドル絵画の様式を忠実に再現する画派(ヒスパノ・フラメンコ)があり,その系統の作品とも考えられるが,年記や署名がないので,決定的なことは言えない。」と言った上で,「画中の諸モティーフの描法や形を,他のフランドル絵画と比較検討することによって,いくつかのことは判明する。画面右側に脆く女寄進者は,15世紀後半にブリュージュで活動したハンス・メムリンクの祭壇画に描かれた修道女の服装と全く同ーであることから,アウグスティヌス教団の修道女であることがわかる。また聖母の顔の表現において部分的にメムリンクの聖母に近いものを見ることができる。背景の風景表現に曖昧な部分が見出だされるが,右側中景の城館風の建築物とその下方に位置する民家風建築物は,16世紀初頭にアントウェルペンで活躍したクエンティン・マセイスの祭壇画(1509年)中に見られるものとほぼ同一であることがわかった。」「少なくともブリュージュやアントウェルペンで直接的にフランドル絵画を学んだ画家により,16世紀後半頃に描かれたものと言えよう。」結果この作品はまさに,「雪のサンタ・マリア」の原画と思しき版画が作られた時代の作品である。この作品の黒子が塗り消されていたと言うこの事実は,マリアに対する判断の歴史的変化と,その後の図像表現における処置の在り様の一例,質の高い作品で-428-
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