鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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は,新しい須磨コレクションのマリア図のように,黒子が塗り消されている可能性が在ることを示している。そしてこの事実は,「雪のサンタ・マリア」図の原画であったはずの版画が見付け出せないことの理由も説明するものでもあろう。即ち,そのような版画は多分,破棄されてしまった可能性が強いと考えられよう。またこのことは,マリアは生まれながらの聖なる存在であったと言う意見と,そうではないと言う意見が同時に存在した時代が在ったが,その時代にはマリアが俗なる存在であったと言うことを絵画として描くときには,マリアの頬に黒子を描いて,そのことを表現していたことが考えられる。しかし1854年にこの教義のための教会の祝日が制定されて,マリアは生まれながらの聖なる存在であったと言う無垢受胎説が公認されてからは頬の黒子は描かれなくなったであろうとするルイス・ハビエル氏の見解の正しさを証明するものであろう。この須磨コレクションにおける聖母子図からの黒子の発見は,1500年代から1600年代頃のマリア図や像特に幼児キリストと共に描かれた聖母子図や像などの不自然な頬の隈の下からは黒子が発見される可能性があることを示している。また,ルイス・ハビエル氏の見解の正しさが証明された結果として,版画からは黒子のあるマリアは探し出せないだろうことが,予測できる。もし発見できるとすれば,『バレト写本」のような人目に触れる機会の少なかった本の中の挿図や教会に秘蔵されている版画の中からであろう。隠れキリシタン画像における,マリアの頬の染みの確認調査が図像表現の歴史において消し去られ,しかも西欧世界においても,全く忘れ去られていたという図像上における史実を確認できた可能性がある。二十数年にわたる須磨コレクションとの関わりの中から,須磨コレクションにおける「聖母と眠る幼児キリスト」図と『バレト写本』の中の同図と「雪のサンタ・マリア」図の関係が,須磨コレクションの別の「聖母子」図によって説明されて終わることになって何か奇妙な感慨に浸らされている。わが国の南蛮貿易時代におけるイエズス会セミナリオの画学舎での西洋絵画の習得の実際については,これまでにもかなり詳しく知られてはいるが,まだ分からない事の方が多い。今回の調査によってイエズス会がアウグスティヌス教団と同じく,一時期マリアの無垢受胎を認めない立場で画像を描いていた事実が確認でき,イエズス会の作画活動の精神的な一面にも触れる切っ掛けとなったことは,非常に意義深いと言って良いであろう。-429-

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