鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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⑭ 印象主義形成におけるモネの絵画の筆触研究者:大手前女子大学助教授六人部昭典はじめに印象主義絵画の特徴として,筆触単位による自由な色彩表現がつねに指摘されてきた。このうち色彩については,印象主義が対象の色彩を光の関係の下に捉えたことによって,固有色の考え方から完全に解放され,色彩の自律性を認識する契機となったことが明らかにされている。だがその色彩と不可分に結びついた筆触に関しては,なぜ筆触表現が求められたのか,またそれが絵画の在り方をどう変えたのかという問題について,十分に検討されてこなかったように思われる。リウォルドは「印象派の画家たちはかつて試みられなかったことを企てたのであり,彼らは新しいく言語〉を,彼らの正統的でない概念に適した筆触表現を生み出さなければならなかった」(注1)と指摘したが,彼らに新しい「言語」を求めさせたものを明らかにする必要がある。さらに後の新印象主義が印象主義の筆触を分割された筆触に統一することにより,印象主義を科学的・体系的なものに変えようとしたこと,またセザンヌが筆触を造形の単位に発展させることによって自らの様式を作り上げたことを考えるならば,印象主義絵画の筆触の問題は19世紀後半の絵画史を展望する鍵ともなるだろう。シフの論文触の問題を扱った貴重な研究であるが,彼の考察を参考にして,ここで筆触表現の特質を整理しておきたい。まず筆触による簡略な表現は,その即応性によって,光の変化など外界の移ろいやすい表情を捉えることに適することが挙げられる。だがそれ以上に重要なのは,筆触が絵の具という物質(マチェール)として画面上に留まり続ける,言い換えれば,絵画平面上に実在し続けるものであることだろう。そして筆触は,たとえば人物といった対象を指示するだけではなく,そのマチェールを通して,手の跡という画家の身体を指し示すものであると考えられる。この報告書では,このような筆触の特質を踏まえて,印象主義形成におけるモネの絵画の筆触を検討することにより,近代絵画の展開を再考察する手懸かりにしたいと思う(注3)。1.同時代の批評における「筆触」モネの絵画の筆触を検討する前に,同時代の批評において,筆触表現がどのように"Cezanne's Physicality: The Politics of Touch"(注2)は,近代絵画における筆-434-

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