鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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2. 自然描写と筆触(注12)と断言し,翌月には,スーラたちの作品を「新印象主義」と命名するのである。フェネオンの考え方は,シニャックが1899年に出版した『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』(雑誌発表は1898年)に継承されることになる。シニャックは,印象主義が「コンマ状の,あるいは掃かれたような筆触」であるのに対して,新印象主義は「分割された筆触」を用いると整理している(注13)。フェネオンの批評からシニャックの著書にいたる展開を見てゆくと,彼らが新印象主義の方法を科学的・体系的なものとして位置づけてゆく過程で,「筆触」の意義を明瞭にしていったことが窺われる。モネが印象主義の形成に向かって踏み出した作品として,1865年から1866年にかけて制作された《草上の昼食》のための一連の作品が挙げられる。《草上の昼食》は1866年のサロンに出品するために計画された作品である。モネは,1863年の落選展に発表されたマネの《草上の昼食》をヒントに,パリ市民たちが郊外の森でピクニックを楽しむという同時代の新しい生活の情景を大作に描こうと考えたのだった(最終作品は一部が未完成のままサロンに提出されず,その後,傷みのためにモネによって切断され,左断片と中央断片が残る)。オルセー美術館所蔵の《シャイイの道》〔図1• 2〕はこのうちの風景習作と考えられる作品だが,この絵における樹々の葉の表現が注目される。モネは葉を灰色の色調を微妙に変えながら処理し,大気のニュアンスを描こうとしている。このような灰色の使い方には,コローの絵画の影響が認められるだろう。画面の中央では全体を青みがかった灰色で塗り込めるような描き方が施され,コローの絵と共通したものが見られる。また道の右側の部分では異なった色調の灰色が重なりあっているが,わずかに筆触が認められる。これに対して道の左側の部分では,モネはコローとは異なり,灰色の彩色に明らかな筆触単位を用いており,これらの筆触はその下の黄褐色の筆触とともに森に差す薄陽の効果を伝えている。同じ主題を扱った《フォンテーヌブローの森のシャイイの道》(W.57)では,灰色が消え,画面は明るくなり,同じ道の左側の部分に施された黄緑色の箪触は木漏れ陽を感じさせる。モネはこうした筆触を通して,風を受ける樹々の葉や明滅する光を描き出している。モネは,自然を捉える豊かな感受性ゆえにコローを高く評価していた。そのコローの絵画〔図3〕には,樹々の枝先や葉の表現などに繊細な筆致が見られる。だが彼の-436-

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