鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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画面に明確な筆触単位は認められない。コローが決して筆触表現に踏み込もうとはしなかったことは,彼の描いた風景が「思い出」という観念性を伴っていたことと関わっているだろう。コローにとっては,画面上にマチェールとして留まり続ける筆触は,彼が風景に求めた観念性を損なうものにほかならなかったのである。一方,モネは《シャイイの道》においてコローの影響を部分的に示しながらも,筆触による表現を自らの制作方法のなかに位置づけ始めている。19世紀の風景表現は現実の自然を対象としながらも,その風景はさまざまな観念性をまとってきた。筆触表現はそのような観念性から脱却することでもあったと思われる。そして筆触単位による表現が,同時代の風俗を戸外の自然のなかに描き出そうという構想のもとに求められたことは注目されなければならない。もっとも,1860年代後半のモネの作品に見られる筆触表現の進展については,それらの作品が,発表を前提としない習作か,発表や売却を前提とした作品かという点や,作品の大きさを考慮する必要があるだろう。また当時のモネにとっては,作品の発表はサロン提出に繋がる場合が多く,モネがサロン出品作に求められた仕上げの基準と筆触表現の兼ね合いをどう考えていたかも検討を要する。実際《草上の昼食》に関わる作品の場合,全体の構想を伝えるプーシキン美術館の作品〔図4〕や大作である最終作品の現存する断片(W.63a・b)は,木漏れ陽の描写に対する強い関心が同様に認められるものの,風景習作と考えられる《シャイイの道》に較べると,描き込みが増すのに応じて,筆触表現は抑制されている。この点については,つぎに見る《ラ・グJレヌイエール》の場合も検討が求められる。1869年に制作された《ラ・グルヌイエール》は,メトロポリタン美術館所蔵作〔図5〕とロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵作(W.135)の2点が現存するが,いずれも筆触単位に基づく表現が画面全体に見られ,印象主義誕生の作品とされる。だがこの時期の制作に関わるモネの書簡には,翌年のサロンのための「いくつかの下手な習作」(注14)という言葉が見られる。「下手な」という語は言葉の綾だとしても,モネはこれらの作品を習作と考えていたと推測することができる。同じ主題の作品を扱ったものに写真資料のみが残る作品(W.136)があるが,サイズ等のデータが不明なため,この作品が1870年のサロン提出作(落選)かどうかは断定しがたい。ただ写真を見ると,先の2作品に較べて,人物の描き方が丁寧になっており,出品作である可能性は少なくない。だがこの作品(写真資料)の場合は描き込みが増しているにも関わらず,水面の描写などには筆触単位がはっきり-437-

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