注(3) ここで取り上げるモネの作品に関するデータは原則として,ダニエル・ウィルデ(4) たとえば,ボードレールはドラクロワの作品について「おぼろげな輪郭,軽やか(8) たとえば,セザンヌも晩年に「樹々も野も家並みも,すべてが組織される。私はャリの指摘は,感覚を制作の拠り所として位置づけることと解釈すべきだろう。そしてすでに見てきたように,その感覚は現実に対して開かれていると同時に,作品(絵画)という,もうひとつの現実に関わるものであった。モネの筆触表現は,自らの感覚が受けとめたものを「現在」という方式(モード)で描き出すという姿勢から生まれたが,筆触は画面上にマチェールとして実在し続けるものであり,絵画固有の要素にほかならなかった。したがって印象主義の定義は,現実ー感覚ー作品という関係において成立するところの「感覚」に求められるのであり,筆触単位による表現とは,そのような感覚をカンヴァスに実体化するものであったと考えられる。(1) John Rewald, "The Impressionist Brush", in Studies in Impressionism, 1985, ンスタイン制作の作品総目録に基づく。また本文中もしくは挿図のキャプションに,総目録所収の作品番号を例のように記す(例W.57)。DanielWildenstein, Claude で漂うような線,大胆な筆触」と記している。CharlesBaudelaire, "Salon de 1846", 見る。斑によって」と語っており(Conversatinavec Cezanne, P. M. Doran, ed., p.194. (2) Richard Shift, "Cezanne's Physicality: The Politics of Touch", in The Language of Art History, S. Kemal and I. Gaskell (ed.), 1991, pp.129-180. Monet: Biographie et catalogue raisonne, tome I (1840-1881), 197 4. in OEuvres completes, C. Pichois (ed.), II, 1976, p. 434. (5) cf., Steven Z. Levine, Monet and His Critics, 1976. (6) Louis Leroy, "L'exposition des Impressionnistes" (Le Charivari, 25 Apr.187 4), in Centenaire de l'Impressionnisme, exh. cat., p. 260. (7) Marius Chaumelin, "Actualite: L'exposition des intransigeants (La Gazette, 8 Apr.1876), quoted in The New Paiting: Impresionism 1874-1886, exh.cat., p.58. p.113),「斑tache」という語は,19世紀の画家や批評家の間で,否定的な意味を伴-440-
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