ない。しかし,こうしたふたつの寄進者表現について,その宗教的な背景に関しては,これまでは「目撃者」型にのみ適応する説明しか行われてこなかった。いわく,寄進者像の聖画像内への参入は,ドイツ系神秘主義の流れを汲んだ描写的な性格の強い受難文学がその発想源であると。では受難文学からは説明のつかない「礼拝者」型の寄進者像の霊感源はどこにあったのだろうか。この問いかけに対し,筆者は,同じ神秘主義的土壌から出てはいるがより実践的な性格を持つ宗教運動,「新しき信仰」からの影響という視点がなんらかの回答を与えるのではないかと考えた。今回,鹿島美術財団からいただいた助成金では,「新しき信仰」に関する先行研究文献の収集とともに,ャン・ファン・アイクの時代のフランドル地方,主にブリュージュに対象を絞り,当地の平信徒の信心会活動および寄進物について,現地調査を行った。「新しき信仰」は,現在のオランダ内陸部の町デーフェンテルを中心に,ヘールト・フローテ(1340-1384)を指導者として誕生した宗教運動である。その基盤となるのは共同生活をする姉妹団・兄弟団であった。神に仕えながらも身分は俗界に残し都市の中で活動する婦女の修道会「ベギン」をまねて,ヘールト・フローテとその弟子ラーデウェインスは半俗の「敬虔者たち」の共住地をデーフェンテルの町につくった。彼らは托鉢ではなく手労働によって生計を立て,財産は団員の共有とした。病院などでの奉仕活動や救貧,都市にやって来る学生の世話が主な仕事であった。強大な教会権力とは離れた活動を行っていた彼らには神学的に体系づけられた理論こそ欠けてはいたが,そのかわり日々の自己省察と団員間の語り合いが,運動内部の宗教的共有概念を涵養する役割を果たしていた。「新しき信仰」の代表的な人物のひとりが,トマス・ア・ケンピスである。「私はこの世の生がいやになった。」という一節でよく知られ,「敬虔者たち」の信仰のありようを後代に伝えている書物『キリストにならいて』は,従来彼に帰属されてきた。研究のすすんだ現在では,『キリストにならいて』は幾人かの手によって書き継がれてきた書物であり,トマスは最終段階での執筆者であったろうと考えられている。労働の後の瞑想と読書,自己省察と,蔵言を集めること,説教に耳を傾けること。こういった日常的な活動が「新しき信仰」の根幹であった。彼らの労働のひとつに写2.「新しき信仰(DevotioModerna)」とフランドル-446-
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