鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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ミッサ・コレクション)。自身も構成員のひとりであったらしいペトルス・クリストゥスがおそらくは団貝からの依頼を受けて1462年頃に私的礼拝用に制作したと思われる小品である。第二に,15世紀の教会のインベントリーの表紙に捺された印(ブリュージュ,古文書館)。第三に,ピーテル・クレッセン作『枯木の聖母の三連祭壇画』(ブリュージュ,聖ワルブルガ教会)。17世紀初頭に制作された祭壇画で,中央パネルに枯木の聖母像と,旧約聖書のギデオンの羊毛を描く。両翼パネルに16人の構成員の集団肖像画が描かれている。最後に,「枯木の聖母信心会」の会貝用メダイヨン(ブリュッセル,アルベールー世王立図書館)。18世紀のものしか伝わっていない。これらの作例はいずれも,ふたつに大きく分かれた枝を持つ木の股の部分に聖母子立像を配する。ふたつの枝はマンドルラ状に聖母子を取り囲み,それぞれの大枝には小枝が生えだしからみあって,荊冠を思わせるかたちになっている。ペトルス・クリストゥスの作品とインベントリー表紙印,およびメダイヨンの作例では,小枝の先にaまたはRの文字が吊り下げられている。aveMariaまたはReginaを意味する。木の股を踏みつけて立つ聖母の像は「黙示録の女」や「燃える柴の聖母」の図像との親近性をうかがわせる。礼拝用のイコンとしてだけではなくエンブレムとしても完成度の高い図像であるが,ペトルス・クリストゥス以前に視覚的先行作例が存在していたかどうかは不明である。しかし,枯木をやがてキリストによってもたらされる人間の救済の象徴とする思想は,13世紀にはすでに人々に親しいものであったらしいことを,アプトン(Upton,1990) が指摘している。アダムの第三子Sethが父に命じられて楽園へ向かい,「知恵の木」の根元にアベルを,枯れた枝の中にキリストを見いだすという伝説が,13世紀のネーデルラント詩人ヤーコプ・ファン・メールラントの長詩に採り入れられている。こうした図解的叙述は,「エッサイの木」にも用いられる系統樹イメージがあらかじめ存在していたことをうかがわせる。さらに,もうひとつの文学的発想源として,ギヨーム・ド・デュギルヴィルの著作『魂の巡礼』『人類の巡礼』が挙げられている。そこではアンナがマリアをみごもった「無原罪の御宿り」について,枯れた「知恵の木」に接ぎ木された「生命の木」の枝の繁茂という比喩が用いられている。ここで興味深いのは,ギヨームの二つの『巡礼』本が修道士ルベルト・ハウトシルトによって翻訳され,フィリップ善良侯に紹介されていることである(この本は現在ベルギー王立図書館に収められている)。ルベルトは-449-

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