鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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⑯ ペルシア戦争前夜におけるアマゾン図像の変遷研究者:早稲田大学非常勤講師長田年弘はじめにアマゾン族は女性のみから構成される伝説上の民族である。軍神アレスを始祖とするこの好戦的な女部族はギリシア神話において黒海沿岸に居住するものと想定され,美術表現ではしばしば東方風の衣装を着けて表された。現実の諸東方民族の代表的イメージとしての性格を持っていたアマゾン族は,大国ペルシアの侵攻に伴って表現の意味を大きく変えることになった。すなわちペルシア戦争後のアマゾン図像は,敵国ペルシア民族を象徴的に表すようになったからである。アマゾン族とギリシア人の戦闘という見かけ上の神話主題はこうして,ペルシア戦争を比喩的に表すようになった。神話表現が現実の事件を表すために象徴的に用いられたという点で,非常に重要な意義を持つと思われるこの現象は,研究史においては今日まで意外なほど看過されてきた。ポードマンによるアルカイック期から古典期にかけてのアマゾン図像を扱った論文以外に,管見に入る限り詳細な研究は存在せず,ペルシア戦争前後におけるアマゾン図像の変遷は,充分に解明されているとは言い難い。1981年から刊行の始まった古代神話図像辞典(LIMC)のアマゾンの項目は,Bothmerの作成した古いカタログを大幅に補訂しており,本論文もその成果に負うところが大きいが,同書は古代世界のアマゾン図像一般を扱っているために,アルカイック,クラシック期のクロノロジカルな発展に関しては詳細な考察に及んでいない。こうした研究状況をふまえ,またバルバロイ図像一般に関する新しい研究成果を取り入れ,ペルシア戦争前夜のアテナイにおいてアマゾン神話がどのような過程を経て現実の東方民族のシンボルと化していくかを,本稿において観察してみようと思う。1 前6世紀から前5世紀前半のスキュタイ図像割を果たしたのは,おそらく当時同市に滞在していた外国人であったと思われる。様々な滞留外国人の中でとりわけスキュタイ人のイメージが神話図像に与えた影響は大きい。以下にM.F. VosとW.Raeckの研究成果から,この時期のアッティカ美術におけるスキュタイ図像の展開を跡づけてみよう。前6世紀後半のアテナイにおけるアマゾン族の神話的イメージの変化に決定的な役-452-

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