鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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イック期の神話に典型的な,ギリシアの神々の支配に抗して討伐される怪異な種族(巨人族や怪物退治神話に現れる様々な蛮族)の1つとしてのイメージが強いように思われる(注12)。この段階に属するアマゾン図像は,不明分を除けば,全てヘラクレス及びアキレウスのアマゾノマキアの主題を表している。〔図4〕はヘラクレスのアマゾノマキアの典型的な作例で,中央にアマゾンと戦う英雄を,両側に残る2組の戦闘図を配する構図は定型表現に属し,類似の作例が数多く生み出されている。トロヤ戦争中の一挿話であるアキレウスのアマゾノマキアは,ヘラクレス神話に比べると非常に作例が少なく,その構図はヘラクレスのアマゾノマキアに依拠している。ち前530年頃を境にして,これまでのアマゾン族の多かれ少なかれ空想的なイメージが,現実を基盤とした東方民族のイメージに転化するように思われる。衣装に関しては,前段階にも見られた帽子,ペルタの他に,東方民族の典型的な装束である上下のコンビネーションが登場し,ゴリュトス,弓矢を持つアマゾン図像が急増する〔図5〕(注たことは,研究者の間に既によく知られている事実であるが,RaeckやVosの研究結果を考慮に入れると,イメージソースが当時アテナイ市内に滞在していたスキュタイ兵士であったことは間違いないように思われる。つまりスキュタイ兵士を実見する機会を得た陶器画家が,東方民族の典型と思われていたこのバルバロイの形姿を用い,神話上の種族アマゾン族のイメージを描き変えたのではないかと考えられる。アマゾンとスキュタイ両図像の類似は,衣装にとどまらず,主題,モチーフ,構図の様々な点に及んでいる(注14)。そこで以下に,この前530年から前480年の第2段階のアマゾン図像をスキュタイ図像と比較し,類似を具体的に観察してみようと思う。もともと純粋な神話的イメージであったアマゾン図像が,時と共に現実の東方民族を暗示するシンボリックなイメージに転化していく過程が,ここにはよく現れている。まず主題について。第2段階のアマゾン図像は,第1段階に引き続き多くヘラクレス及びアキレウスのアマゾノマキアを主題としている。特にヘラクレス神話が好まれ,族を描く新しい主題も,この時期に多数生まれている。すなわちアマゾンの武器の装着〔図6〕や騎馬〔図7〕,徒歩,戦車〔図8〕による行進を表すもので,神話主題と第2段階に入ると,図像,主題共に,アマゾン神話に大きな変化が訪れる。すなわ13)。この時代のアマゾンがスキュタイ人などの東方民族の衣装を借りて表現され始めLIMCによれば前6世紀の末葉に50近い作例が描かれている。しかし同時にアマゾン-455-

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