鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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Raeckは陶器画の図像を根拠に,この時代のアテナイにスキュタイ人と同様,トラキ無関係にアマゾン族を単独で表すこれらの新しい画題は,先述のスキュタイ図像のレパートリーとほとんど完全に一致している(注15)。スキュタイ兵士と第2段階のアマゾン族のイメージの類似はさらに,ラッパの吹奏〔図2と6〕や戦斧の使用などの細かなモチーフにも及んでいる(注16)。スキュタイ兵士を描く戦闘場面においては,バルバロイがギリシア人重装歩兵の傍らで弓を引く図像が多いことを先に記したが,アマゾン図像にも同様の構図が見られる。ギリシア重装歩兵の衣装を着けたアマゾンの傍らに,スキュタイ衣装を着けた射手のアマゾンを配する作例がそれで,2つの図像は著しく類似している。図3及び図9を比較されたい(注17)。この時代のアマゾン図像に見られる新しいモチーフとしてさらに,歩兵同士の戦闘から離脱し逃走する射手のアマゾンという,興味深い例を挙げることができる〔図5〕。後ろを振り返りながら逃げる射手の表現は,スキュタイ図像にも共通して現れるもので,両者ともアルカイック芸術に時折見られるユーモア表現に属するのではないかと考えられる(注18)。なお第2段階のアマゾン族は,稀にトラキア人の衣装を着けて表されることもある。ア傭兵が存在したことを推定する(注19)。さてペルシア戦争を経て第3段階に至ると(前480年以降),アテナイ芸術のバルバロイ図像とアマゾン図像の双方に,大きな変化がおとずれる。すなわち陶器画中にペルシア人の図像が初めて登場し,同時にアマゾン族の中にもこのペルシア人の衣装を着けた女戦士が表されるようになるからである。ペルシア戦争中にアテナイの陶器画家はペルシア人を実見する機会を初めて持ち,戦後このギリシア人の不倶戴天の敵を図像として表現し始める。陶器画の典型的なペルシア兵士は,スキュタイ人と同様に刺繍のあるコンビネーションを着け,その上にしばしば,異国風のデザインの胴鎧を着けている〔図10〕(注20)。帽子の形は様々だが,スキュタイ人のそれに比べて素材がより柔らかく(おそらくフェルト製),高い形をしていないので識別しうる。ただし陶器画家がもともとペルシア人とスキュタイ人を正確に描き分けようと意図していない場合も散見され,特にサイズの小さな陶器画ではいずれとも判別しがたい例がある。武器はスキュタイの場合と同じく弓矢,戦斧,槍等で,ペルタの他に様々な意匠の盾を持つ(注21)。ペルシア戦争後に描かれたアマゾン族の多くは,フェルト帽をかぶりコンビネーシ-456-

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