鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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1'伝来これらのうち,十六観変相図の研究には1993年より取り掛かり,わが国における製作と考えられる二作品,(1)阿弥陀寺本,(2)長香寺本をめぐる諸問題については既に検討を終えている(注4)。本報告では,貴財団の助成により調査を行った朝鮮半島における製作と考えられる十六観変相図のうち,特に(3)西福寺本〔図1〕について取り上げ,現在の見解の概略をまとめてみたい。西福寺本十六観変相図福井県敦賀市にある大原山西福寺は,応安元年(1368),良如上人の開基と伝えられる浄土宗鎮西派の名刹である。仏教絵画,中世文書など多くの寺宝を有するが,この十六観変相図がいつから当寺に蔵されていたかを伝える資料は知られていない。製作年代については,これまで高麗時代として取り扱われてきており,筆者も様式的に矛盾がないと考えるので,その前提のもとに論を進めていく(注5)。この十六観変相図を考える上で無視できないのが,同じく西福寺に伝わる序分義図〔図2〕の存在である。両本の画絹の法量は,十六観変相図が縦203.5,横129.0センチメートル,序分義図が縦149.5,横112.5センチメートルとかなり異なるにも拘らず,まるで一対であるかのように,いずれも中廻に葵紋金襴を用いた同表装で,表具を含めるとほぼ同寸法に仕立てられている。この点に関して,この二図それぞれに同内容の興味深い裏書きが記されている。「大唐善導大師御惧筆/浄土之変相井観経大曼荼羅二副幻葵御紋付表具井金物共御紋付ニ而/御寄進御施主/樋口宮内卿御奥方/取次/同奥家老岡沢右衛門/松平讃岐守様呉服所)京松屋嘉兵衛/同番頭筑田孫右衛門/延享五戊辰年正月日/大原山西福寺常什物/三十一主/真誉代/ネ背匠/京二條寺町久左衛門」(/は改行を示す)これより,この二幅が延享五年(1748)に樋口宮内卿基康(1706■1780)の室,教峯院御弁(〜1752)によって葵紋付きの表具と金具を施して,西福寺に寄進されたことが判明する(注6)。教峯院は,讃岐守を称する高松松平家の三代頼豊の娘であるから.実家の呉服所を通して葵紋付きの裂を調達したのであろう。西福寺と教峯院の関-465-

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