かを見ていきたい。まず,図像の構成を把握するためにこれらの十六観変相図を模式図として表し(模式図1• 2 • 3),銘文を比較するために対照表を作製してみる。まず図像の構成では一見して,西福寺本(模式図2)が,阿弥陀寺・長香寺本グループ(模式図1)と似通った構成であることが理解される。それは,阿弥陀寺・長香寺・西福寺の各本では,画面を大きく縦に三分割し,中央上部に初観,向かって右端に区画を区切って第二観から第七観,左端にも区画を区切って第八観から第十三観,中央に楼閣を三段積み上げ第十四観から第十六観が等しく描き込まれるからである。一方,隣松寺・知恩院本グループ(模式図3)では,画面は縦に三分割されて見えるものの,十六観は上から順に明確な区切りを設けず配されており,画面下部には銘文帯が設けられる。また,元照の『観経義疏』に基づくとの論拠にされる「上三品菩薩衆」「中三品声聞衆」「下三品人民衆」の語も銘文中に見られない。このことからも,これまで指摘されてきたように,西福寺本は阿弥陀寺・長香寺本の発展した形であり,同じ高麗時代の作例ではあっても隣松寺・知恩院グループとは大きな隔たりがあることが明らかである(注8)。付言して,図像構成の観点から隣松寺・知恩院本グループが阿弥陀寺・長香寺・西幅寺本グループから受け継いだ点を述べるならば,画面に三段の浄土図を配する点(西椙寺本は四段),画面両端を区画する点,初観を中央上部に配する点,画面下部に往生者を迎え取る第十四観から十六観を配する点(阿弥陀寺・長香寺本は第十四観,西福寺本では第十六観のみを置く)であり,先行作例をかなり大幅に組み替えていることが理解される。この上から下へ,順に十六観を説いていこうとする画面構成は,幾何学的とも評される構図と,正面性の強い対象の捉え方とあいまって,この転換が計られた背景に几帳面な整理癖が働いたことを感じさせる。次に,正宗分(+六観)以外に画面に描き込まれた内容を取り出し,それが『観経』のみで理解できる要素かを考えてみる。まず,阿弥陀寺・長香寺本では,画面中央に配される初観を示す日輪を挟んで,向かって右に「王宮口章提希□口」と銘文を記し,楼閣内の如来の前に膝まづく女性が描かれている。これは釈迦の前に座す章提希を表しており,『観経』序分を絵画化したと考えてよい。一方,向かって左には「者闇堀山大衆雲集」との銘文があり,聖衆に囲まれた如来の前に一比丘が座す図が描かれる。これは,王宮から者闇堀山に還った後,阿難が聖衆を前に十六観を復説する者闇分に当てられよう(注9)。すなわち,阿弥陀寺・長香寺本では,序分,正宗分,者闇分と,-469-
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